アイデンティティとシングルマザー

以前とある社交場で、シングルマザーとしてのアイデンティティを輝かせて活動してる歳上の女性と出会ったことがある。

 

あの時のことをふと思い出して、アイデンティティについて考えた。
自分が「このような自分こそ自分だ」と思うのが、アイデンティティなのだと思う。

その根元には何があるのかいろんな人の話を聞いてみたい。自己実現と結びついていたりもするし、劣等感やコンプレックスと結びついている場合もあるだろう。

その方は、自分がシングルマザーであることに誇りを感じているのか、とても表情が輝いていた。同じ立場の人間ということで、私は色々なことを細かく聞かれた。

 

 

ひとり親をやっていると、ひとり親をやっている人と知り合う機会が多い。

自分ひとりが主な責任を背負って人生を開拓している子育て中の女性、という括りでの出会いやすさもあるかもしれないし、同志としての安心感が無意識の中にあるのかもしれない。

でも私が出会うひとり親の方々は、皆自分のアイデンティティはそれぞれ違うベクトルで働いていると感じている。当然、一括りになんて出来ない。

 

私はひとり親を卒業したいと思っている。

ひとり親のアイデンティティなんて、全く持ちたくもないし、そんなことを名乗る暇があるならとっとと別のところに行きたい。こういうのは本当に人それぞれだと思う。

 

言葉について言えば「ひとり親」という言葉は比較的まろやかな言葉だと思っていて私は主に使うけど「片親」、「シングルマザー」はなかなかのパワーワードだと感じている。正直圧力が強すぎて胸焼けしそうな勢い。多分、様々な場所で「貧困」や「恵まれない立場」というニュアンスと結び付けられやすいからかなと思っている。

なんだかとにかく、立場で人にラベルを貼ったりするような物の見方は嫌なのと、とはいえ現実的には立場上正直配慮して欲しかったり、具体的に力を貸して欲しいと思うことも多く、そのせめぎ合いが常にある。

話は少し逸れる。

夫婦で子育てをしている人でも、パートナーと助け合えていない人もいる。そういう人はそれ故の苦しさがあることも知っている。むしろ、夫婦や家庭の問題に他者はあまり介入出来ない雰囲気があって、助けを求めてもどうにもならないことが多いのだ。

ひとり親をやると、外から見えない内部事情のようなものを抱え込む必要がなくなるので、それはとても楽になる部分がある。助けてもらいやすくもなる。なので、状況が蛸壺化している人には独立をオススメしたいのが個人的な意見でもあったりする。

その先にあるのが、アイデンティティやラベル貼りの話になるのだけども。

 

 

私は、誰かと一緒に助け合いながら生きるということを、この人生で諦めたくないなぁと思っている。他者の存在によって、自分の人生の可能性が開くこと、逆も然り、そのような体験をしたい。

子育てにおいては、尚更だ。ひとりでやるようなものじゃないと思っている。父親と母親のふたりでも足りないと思っている。血縁は人の心の拠り所になりやすいのかもしれないけど、それは一つの側面であって全てではないと思っている。素晴らしいステップファミリーだって知っている。

子どもが生まれて10年、ずっとそのことを考えて来ていると思う。それは今の家の活動にも繋がっている。誰かと助け合うことを諦めたくない。

何故か上手くいかないことも多く、今に至る….なのだけども。

これまで自分の未熟さ故に、正しい選択かと問われれば間違ってると言われるようなこともたくさんしてきたし、何人かの人には、裏切り者だと思われているだろう。とはいえ自分にとっても、最後に1番助けてほしかった人が非難して来たり脅して来たり、どんなに叫んでも声が届かなかったり、色々なことがある。誰かにとっても自分にとっても、全ての痛みが消えているわけでもないだろう。

 

それでも、自分が如何に未熟な人間か思い知らされるばかりであっても、前に進んで行きたいと思っている。

自分自身のアイデンティティ、大切にしたいものと、脱ぎ捨ててしまいたいもの、皆それぞれあるのかなぁと考えている。いつかそんなことについて話をしてみたいなぁ。