私と哲学と子どもの学び

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阿蘇に住む大津愛梨さんというお知り合いが、ご家族でハワイの教育を学びに研修に行っておられるとのことで、日々レポートがfacebookに投稿されて、興味深く拝見しております。

その中で私が特に氣になっているのは「子どもの哲学」の授業についてのお話。
私は子どもの頃からいわゆる哲学と言われる分野がどうも、ものすごく好きで、そんな話はいつまででもしていたかった。勿論今も大好物なのだけども。

でも、当然今もそうだと思うけど、別に哲学とかって特に義務教育内で話題に上がらないし、私もずっと趣味の領域で生きてきたのであります。(大学は哲学専攻に行くのにも憧れたけれども〜)

しかしハワイで愛梨さんが訪問している小学校ではそのような授業があるとのこと。
そして日本でも、そういった哲学の授業を取り入れている場もあるということを初めて知りました。

これまでずっと極私的な趣味としてあった私の哲学志向が、大事な教育の実践として捉えられていたりするなんて、嬉しい驚きを感じています。

答えを見つけるのが目的ではなく、考えを深めていくことを目指した、コミュニケーションの練習。

先生が教えるのではなく、先生も子供も一緒に輪になって対話をする手法。


「先祖に会いたいか、子孫に会いたいか」、「人は死んだら星になるのか」といったトピックスで小学校4年生が先生も一緒に対話をするのだそうで、嗚呼、加わりたい、とウズウズします。

私にとってはとりあえず、それを肴に朝まで酒が飲めるよ、というようなネタなのだけど、それが子どもとの対話で教育の範疇になるなんて….やっぱりすごい、嬉しいなぁ。


私は「人は死んだら星になるのか」なんて問いかけられたら、人体を構成している物質は星から生まれたらしい、という以前読んでうろ覚えな「僕らは星のかけら」という本を思い出して語る。と同時に、人間の歴史において、星の存在がどんな役割を果たして来たのかということについて、神話や宗教を背景にして、ロマンをキーワードに語ったりもしたい。「ソフィーの世界」に出てきて知った、例えば今見えている3億光年離れた星の光は3億年前の光、といった話から、星という存在が過去であること、同時に私にとってはなにやら未来の希望のようにも思えるのだけど、それは何故か、夜という時間に現れる光がもたらす心理とは、みたいな、もう、全然「死んだら星」とか関係ない話をグダッグダとして、そんで私は「だから人は死んだら星になるんだよ」とか言ってまとめるような氣がするんだけど、結局のところ、星になるかならないかはどうでも良くて、、

それでやっぱり哲学というのは、私にとって、最高にエキサイティングな遊びなんだなぁと感じたりしてしまうわけなのです。


子どもが哲学に触れることにどんな意味があるのか、完全な趣味の世界で生きてきた今の私にはまだ分からないけど、もしかして、今後、そういう「子どもと哲学」の場を私も考えたりしても楽しいだろうなぁとか思ってしまった。あ、勿論、大人のやつもやりたいですね。大人は是非お酒と共に「哲学ナイト」とかやりたいです。


ああ、先祖に会いたいか、子孫に会いたいかだったら、私は子孫だなぁ!なんでかって….

そういう話をいろんな人と、そう、できれば世界中の人たちと、してみたい。語学ももっとしっかり学びたい。なんだか最近は、自分が元々持っていた興味のある分野と、思い描いていた方向性と現実の未来が繋がっていくようなありがたい流れを感じています。


twitterでは面白そうな映画も教えてもらいました。是非近々機会を作って観てみたいと思います。フランスの幼稚園で行われたこどもと哲学の時間のお話。
「ちいさな哲学者たち」
http://www.phantom-film.jp/library/site/tetsugaku-movie/


今日は誕生日でした。
たくさんの愛に感謝です。