2013年4月のアーカイブ:田舎暮らしへの興味の一歩

2013年4月7日に古い方のブログに投稿していた当時の記事のアーカイブ記録です。
街中で暮らしていた私が最初に田舎で暮らそうかなと思ったきっかけについて。

今はひとり親になっているのだけど、当時は夫がサラリーマンでしんどそうなのをどうにかできないものか?と考えていたというのも大きかった…。色々な物事が自分の思うこととは違っていき、結果的に田舎暮らし以外は削ぎ落とされてしまったけれど。でも今もこの思いの土台は私にとって大事なものです。

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2013/04/07投稿
いまここ!2013年4月:熊野の共育学舎に来た。のでそこに至る経緯。

最近、色々なことを考えたり感じたりするに当たって、和歌山県の熊野にある共育学舎という場所に来てみた。一週間滞在してみる。

色々なこと、についてざざっと書いておこうと思う。いずれもすごく個人的な気持ち。

@子供:2010年10月生まれ。現在二歳。周囲の世界に好奇心を持ち始めた。
自分の身の回りにあるものにとても興味を持って接している。
道と建物くらいしかない今の京都市内の家とその周辺であまり遊べる場所がない。
学べる場所がない。

今子供が学ぶべきことは、自分の存在の根源、命に近い場所ではないか、と思った。
生き物の気配、食べ物が生まれる場所、自然の木々や植物、その匂い、音、色。
人間が動物として始まった家としての自然に近い場所。

町中にある様々なことやものが「便利」とか「快適」と感じるのは、今二歳の子供がもうちょっと大きくなってからで十分なのではないか。
個人的には10歳前後から、もっと外の広い世界を知っていくことって意義深いんじゃないかとは思っている。その時までにベースになる自分の生活した環境が原風景となって基盤になるんじゃないか。それは、出来るだけ命に近い場所であって欲しいと、ちょっと思っている。

@夫:新卒で就職して大阪で企業勤め。最近いよいよ疲れている様子。

元々、私自身、大学を出て就職して働くというのは「普通の」「大多数の」人が選択する「スタンダードな」大人として生きる生き方なのだといつからか教え込まれてそれに疑問は持たなくなっていた。私は芸術家として活動をしたかったし、経済基盤が怪しいそんな活動をサポートしてくれる環境が夫の固定給という形であるのはありがたかった(実家に頼れるような状況でもなかったので。作家をやっている人は実家の恩恵を受けている人も多い)。

しかしその夫の体調が最近いよいよ良くなさそう。毎日23時帰宅で、不眠や胃痛など分かりやすい体調不良も表立って目立って来た。それなのに仕事を休めないのか休まないのか、辞めないのか辞められないのか、体重はじっくりと下がっていっている。「普通の」選択をしたと思っていた人がこんだけ大変なら、それは普通だったとしてもおかしいと思った。それは明らかにどうにかしなきゃいけない問題だと思った。

@育児:子供は男と女一人ずつ居れば出来る(※生物学的な話)ので、育児も男と女一人ずつ居れば出来るのかと思っていたけど違った。

人間て生まれてみたら社会的な生き物で、それは生まれてみて初めて混沌とした脳に色々な出会いや経験などコミュニケーションを身につけながら総合的に一人の人格が出来上がっていくものなんだなと感じた。

それと、一人の大人が一人の子供を見るより、二人の大人が二人の子供を見た方が楽だということを知った。三人の大人が三人の子供を見るともっと楽になる。子供たちは自分たちで一緒に遊んだり出来るからなのだった、、。

そういった意味で核家族とか、母子二名ペアとかは、子供の成長(たくさんの人との出会いや経験を得ること)にも、大人の時間ややること(一人で一人の子供の相手を延々しなければならない)にも圧倒的に非効率な方式となる。

私の場合、私も夫も九州が地元で、今住んでいる京都には近所に親戚も友人も親もおらず、完全に孤立していた。ちょっと誰かに頼み事をしたくても、みんな自分の用事が忙しいので来てもらえない、そんな環境だった。

そんな環境じゃない人には問題にならないのだとは思うが、私と夫にはその、大人二名のどちらかが倒れたらどちらかに過度な負担がかかるという状況が既に重荷だったし、実際子供の世話などは押し付け合いみたいになりかけることも常だった。子供にも良くないことは明らかだったし焦っていた。

@お金のこと:どうにか経済的に自立したい、と思っていた。けどどんどん現実的じゃなくなった。

芸術を選んだけど、夫はずっと働くことがしんどそうだったし、自分はなるべく早くちゃんと夫が働かなくてもいいように自立出来る様になろう!と思って20代をよく分からないなりにアーティストとして自分なりに歩んでいた。でもそれで少しずつ分かってくるのは、別にアーティストで食べるということは思っていたより分かりやすい道は無いということだった。それすらよく分からずに進んでいたんだから恥ずかしい限りなのだけど。例えば仮に作品がわーっと売れても、翌年同じように売れる保証なんてない、とかそういったことだった。それより何より分かりやすい結果も特に出せなかった。

大量生産大量消費のお金や経済の在り方にも違和感があったし、現行の貨幣経済への問題意識もなんか強くなってきてお金=価値とかお金=人生みたいな暮らしを見直していこうと思えて来た。そして最近いよいよ収入を増やすことより支出を減らすという方向にシフトしていこうかと思った。

@美術作家活動:作品でコミュニケーションをとりたいけど、なんだか実感が持てない

作家として自立したいというのもあったけど、それは勿論、自分の考えや思っていることを作品を通じて人に伝えてそこから生まれるものを通じて人と関わりたかったというのがあったので、色々作品を作ったり展覧会をしたりしてきたけど、露骨に反応がないとか、そういうことも経験して自分の作品が悪いのか、ということやアート業界が狭い、とかいうことについてなんだかそれまで以上にモヤモヤするようになった。

そういったことから、これまで自分なりにここ1〜2年でやってきたこと

@moetacu
子供の世話で極端に外出に制限が出たのでストレスが強く、とにかく人に家に来てもらえる環境を作ろうと思ってmoetacuという動きを始めた。色々なテーマで集まりを開催する。これは結構楽しかった。でも家の構造上、誰とも会いたくないという夫にはややストレスを与えていたようにも思う。

@まちづくり関連の場に関わってみる
子育ての在り方とか、自分の関わっているアートの世界をもっと開きたいと思ってまちづくりといわれる分野の場や人たちと関わってみた。結果的には、まちづくりに関わっている人や場はそれが属している限られたエリアが盛り上がることしか目的にしてないみたいで、元々京都で何にも属していないような感覚を持つ自分には違和感があった。目の前で困っている状況があっても、条件が合わなければ無関心、のような、なんだか「まちを盛り上げる」という目的にしか興味なくて、それは決して「人」ではないといった印象もあって残念に思った。

@働き方を考え直す
「ナリワイ」http://nariwai.org/という考えを提唱している伊藤洋志さんに出会って、考え方がとてもしっくりきて、自分も取り入れていきたいと思った。自分の生活も、アルバイトと作品制作はあまりにも分断されていてそれぞれの時間がそれぞれを圧迫していたし、そのことに違和感があった。もっと先に続いて繋がっていく働き方とか仕事のやり方を考えていきたいと思った。

ナリワイというのは、ざっくり言うと小さな仕事をたくさん持つ、という考え方。

そういったことが色々あって、
熊野の共育学舎というところに来た。
ここで自然の中で自給自足に近い暮らしやその環境について触れてみようという次第。
共育学舎のウェブサイト
http://kyouiku-gakusya.org/npo/

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