Month: January 2017

2017/01/30 作業のメインは壁壊し

抜けた空間を作りたく、仕切られた壁をひたすら可能な限り壊していっております。 玄関の間口も、限界まで広く!間口の広い活動をやっていきたいので、物理的にも広く広くしてゆきますよ!今日もご友人にお越しいただき、かなりたくさん進みました。ありがとうございます! 玄関の外も間口を広げるべく、ツツジさんも剪定、というか切り落とし。広がりますよ〜。 今回壊している壁は、昭和期にリフォームで作られた部分、ベニヤ板や石膏ボードで作られています。しかしそれらの下からは元の土壁が登場したりする次第。土壁を抜くのは頑張らないといけない作業であります! 石膏ボードは建材の中では最も処分しにくいのではないかというアイテムであります。 頑張って集めて、産廃として捨てにゆきます〜。 お昼ごはんは、車で10分くらい行ったところにあるお店にて!ごぼう天うどん380円です。

2017年の「糸島空き家プロジェクト」さんとの再会

2014年5月の初訪問から、いつも私の中で氣になる存在だった「糸島空き家プロジェクト」さん。(2014年5月の訪問レポはこちら) 今回はついに私も自ら空き家プロジェクト状態になったこともあって?、現在バリバリ進行形のシェアハウス現場、シノハウスを訪問してきました。 模型も現場に置いてあり、流石建築系の学生さんがベースになっているサークルだな〜と興味深かったです。そしてシノハウスは床も壁も全部作っているというかなり頑張ってる系の作業中でありました。完成に向けていよいよ佳境….ファイトです!   翌日は、現在私が動かし始めた?、川付の家(仮)にも訪問いただきました。 若い大学生男子が数名お越しいただき、(……これは!!!! タンスの運び出し….!!!)というわけで、すかさず二階に残っていた重い物の運び出しをお願いして快く助けていただき、大変助かりました(感涙)ありがとうございました! 建築学生パワーで、なかなか外れなかった建具もついに外れました!!感謝です〜! また春以降など、空き家改修つながりで、楽しい関わりなども作っていけるといいなと思っています。学生さんのサークルなので、なんだか歴代の代表の方々と常にお会いしては色々お話をさせてもらうという細長い関わりでここまで来ましたが、今後はまた新たなご縁に繋がっていきそうで楽しみです! 糸島空き家プロジェクトさま、いつもご親切に相手をしていただきありがとうございます。 今後ともどうぞよろしくお願い致します〜。

私と哲学と子どもの学び

阿蘇に住む大津愛梨さんというお知り合いが、ご家族でハワイの教育を学びに研修に行っておられるとのことで、日々レポートがfacebookに投稿されて、興味深く拝見しております。 その中で私が特に氣になっているのは「子どもの哲学」の授業についてのお話。 私は子どもの頃からいわゆる哲学と言われる分野がどうも、ものすごく好きで、そんな話はいつまででもしていたかった。勿論今も大好物なのだけども。 でも、当然今もそうだと思うけど、別に哲学とかって特に義務教育内で話題に上がらないし、私もずっと趣味の領域で生きてきたのであります。(大学は哲学専攻に行くのにも憧れたけれども〜) しかしハワイで愛梨さんが訪問している小学校ではそのような授業があるとのこと。 そして日本でも、そういった哲学の授業を取り入れている場もあるということを初めて知りました。 これまでずっと極私的な趣味としてあった私の哲学志向が、大事な教育の実践として捉えられていたりするなんて、嬉しい驚きを感じています。 答えを見つけるのが目的ではなく、考えを深めていくことを目指した、コミュニケーションの練習。 先生が教えるのではなく、先生も子供も一緒に輪になって対話をする手法。   「先祖に会いたいか、子孫に会いたいか」、「人は死んだら星になるのか」といったトピックスで小学校4年生が先生も一緒に対話をするのだそうで、嗚呼、加わりたい、とウズウズします。 私にとってはとりあえず、それを肴に朝まで酒が飲めるよ、というようなネタなのだけど、それが子どもとの対話で教育の範疇になるなんて….やっぱりすごい、嬉しいなぁ。   私は「人は死んだら星になるのか」なんて問いかけられたら、人体を構成している物質は星から生まれたらしい、という以前読んでうろ覚えな「僕らは星のかけら」という本を思い出して語る。と同時に、人間の歴史において、星の存在がどんな役割を果たして来たのかということについて、神話や宗教を背景にして、ロマンをキーワードに語ったりもしたい。「ソフィーの世界」に出てきて知った、例えば今見えている3億光年離れた星の光は3億年前の光、といった話から、星という存在が過去であること、同時に私にとってはなにやら未来の希望のようにも思えるのだけど、それは何故か、夜という時間に現れる光がもたらす心理とは、みたいな、もう、全然「死んだら星」とか関係ない話をグダッグダとして、そんで私は「だから人は死んだら星になるんだよ」とか言ってまとめるような氣がするんだけど、結局のところ、星になるかならないかはどうでも良くて、、 それでやっぱり哲学というのは、私にとって、最高にエキサイティングな遊びなんだなぁと感じたりしてしまうわけなのです。   子どもが哲学に触れることにどんな意味があるのか、完全な趣味の世界で生きてきた今の私にはまだ分からないけど、もしかして、今後、そういう「子どもと哲学」の場を私も考えたりしても楽しいだろうなぁとか思ってしまった。あ、勿論、大人のやつもやりたいですね。大人は是非お酒と共に「哲学ナイト」とかやりたいです。   ああ、先祖に会いたいか、子孫に会いたいかだったら、私は子孫だなぁ!なんでかって…. そういう話をいろんな人と、そう、できれば世界中の人たちと、してみたい。語学ももっとしっかり学びたい。なんだか最近は、自分が元々持っていた興味のある分野と、思い描いていた方向性と現実の未来が繋がっていくようなありがたい流れを感じています。   twitterでは面白そうな映画も教えてもらいました。是非近々機会を作って観てみたいと思います。フランスの幼稚園で行われたこどもと哲学の時間のお話。 「ちいさな哲学者たち」 http://www.phantom-film.jp/library/site/tetsugaku-movie/   今日は誕生日でした。 たくさんの愛に感謝です。

暮らしのビジュアルイメージを思い描く

pinterestというサービスで、氣に入った画像を集めては眺めたりというのを時々しています。 昨日は、もっとイメージを脳みそに理想的な暮らしのビジュアルイメージを刷り込もうと、PCのデスクトップ用に画像を作成しました。 家を作ろうとしていると、夢の実現、みたいな世界に触れることになります。 思い描いた風景が現実に!みたいなやつです。 でも個人的には、思い描いた通りそのままの風景を現実に作ってしまうときっと面白くないんじゃないかな?と思ったりもしています。何故なら、そこで夢が終わってしまうから。 普通は、家づくりなんて一生に何度もやるものじゃないのかもしれないですが、私は常にときめく思いを描きながら、その時々にしか味わえないポイントを楽しんでいくことを大切にしたいなぁと思っています。 好きだなと思う画像はたくさんあるのですが、いざ特に気に入ったものを集めてみると、自分の好みが分かって面白いですね。明るくて清々しいおうちはいいなーと思います。現実をどこまで素敵に出来るかは、脳みそでどこまでイメージを描けているか、ですねきっと。

「正しい私/いい子」で在りたい望みが弱さから来るのなら

(人から気に入られたい..)という動機で言葉を紡ぐ自分はほぼ無自覚に動いているけれども、自覚してしまうと浅ましく格好の悪い自分だなと思ってしまう。飢えているのかな、と。承認欲求の暴走。 同じように無意識の中で、(正しい自分で在りたい!)という思いや(「いい子」で在りたい!)と思っていた子ども時代から今までの自分というのは、本当に驚くけれど、最近やっとその存在に気が付いてきた。 他者から非難されることへの恐れがものすごくあったのだろうと思う。 可能な限り誰から見ても「正しく」在ることが、そのリスクを最低レベルまで下げる効率の良い手段になる。「いい子」であることも、最高のリスクヘッジ。ヤンチャは親や周囲の大人が許してくれる範囲でやるのが好ましい。私は無意識の中でそれを巧妙に選択して生きて来たし、そこから外れることに対して自分を許して来なかった。それは恐れに基づいた行動原理で、私の心はとても窮屈であっただろうと思う。そしてどこかそんな、自分は絶対に手を汚さすに、清廉潔白で無難な立場を選び続けることを守ろうと頑なになっている自分への違和感もずっとあったようには思う。(長女っぽいなとか思う) そこまで努力して、恐れから自分を守ろうとしてきた私の中で生じた歪みはそこそこの存在感を放っていたとも自覚する。 まず、清廉潔白で無難な立場をひたすら守ろうとする自分への違和感に耐えかねて、やはりリスクを犯してでももっとあるがままに生きたいという思いは抑えきれなくなった。そこにもはや理屈は無く、それまで押さえ込んでいたタガが変な形で崩壊したというだけのことだったのかもしれない。ただのアホやとも言える。 非難を避けたいという恐れは長年私を弱くして常に怯えさせていた。ちょっとした否定ですぐに自分が全否定されたかのように落ち込み、なかなかそこから立ち直れない自分を作っていた。あらゆる物事に対して常に自己弁護をしたい自分がいた。 「いい子」で「正しく」ある為に、ネガティブな感情、憎しみ、恨み、怒り、嫌悪感を否定してきた。結果、そのようなものが湧き上がる己の一側面を抑圧して、無いものにしたし、それを想起させる存在を封じ込めようと躍起になっていた。が、やはりどうしても滲み出てきて、そこのコントロールが上手くできなかった。 *** これらはただの内省趣味なのだけど、何がきっかけでこんなことを考え始めるのかということについても少し。今回は、棘のある言葉を発してしまう自分を自覚して、その原因を掘り下げていって出会った領域だった。自分の中に抑圧された憎しみや怒りのようなものが、棘になって出てきて、それをコントロール出来ていないのだなぁという発見。どういう時に棘が出てしまうのか、という部分に、抑圧がある。 個人的な体験が元になっていることがほとんどなので、感情を探りながら確かめてゆく。 私の刺々しさに触れたことがある一部の人からは「お前ほんまそれやで」的なため息が聞こえてくるようでもあるが、自覚というのはなかなか、他者から指摘されたからといってホイホイと進むものでもない難しさよ。 幼年期までの期間の出来事で父親に対する恨みのような感情を封じ込めてきたことを自覚しつつある。それと、私はある特定の人に対して妙に見下したような態度を取ることがある。この特定の条件についてはまだ掘り下げ中。 しかし実際のところこんな抽象的な領域はホログラムで、常につかみどころがなく、角度を変えれば紡がれる言葉も全く違うものになる。数ヶ月後には全く違う言葉で同じことを認識していたり、同じ言葉で違う意味を認識していたりもするのだろうと思う。まぁ世の中のあらゆることは、そういうものなのかもしれないけれど。 2016年はご友人つながりでヒプノセラピーというものを初体験した。要は無意識の中の自分との対話みたいなもの。日頃ボーッとしている時などは無意識だったりする、そんな領域にアクセスしてみるというものだった。日頃からこんな感じで内省趣味のある私とは相性が良くてパワフルな学びがあったと感じている。しかし同時に、抑圧している領域は、簡単にはアクセス出来なさそうだなということも少し感じました。 ヒプノのセッションを受けるとなんでもすぐに無意識が抱えた問題?を解決できるかといえばきっとそうでも無いのだろうと思って、だから結局日常の中でなるべく、自らアクセスする癖を付けておくこと。その中で出来れば苦しみ・苦しませの元になっている抑圧があるのなら、解放していくこと、そんなことを意識している。日々の筋トレのようなものとして。 嫌悪感や憎しみ、恨みを飼い慣らさなければ、暴走してしまう危険性を常に孕んでいるなぁと思う。私は戦争ってそこから始まると思っているし(人の心に巣食う抑圧されがちな感情なのだ)、世界平和は自分から、心の平穏を求めてゆきたいなぁと思っている。

古民家リノベの仲間たち…

先日は、現在住んでいる大分県豊後大野市、の隣の竹田市(たけたし)で2017年春に開業予定で現在バリバリリノベ中のゲストハウスの現場を訪ねて参りました。こちらは1階に現在も竹田市でオープンしているキッチンうすだのベーカリーカフェも移転開業予定ということで、楽しみ過ぎるスポットになる予定です。場所も駅からまっすぐ歩いてすぐ!電車で竹田市に来て泊まるには最高のロケーションです。 キッチンうすだ さんのページはこちら http://www.kitchen-usuda.com/   建物も、いい感じに古物件で古き良き時代の造作が随所に見られ、素敵な空間でした! これがまたどんな風にかっちょ良くリノベされるのかとっても楽しみであります。 ゲストハウスを開業予定なのが、竹田市に地域おこし協力隊としてやってきた堀場さくらさん&貴雄さんご夫妻。お二人が竹田に来てすぐの頃にチラッとお会いした後はあまりゆっくりお話する機会が無いまま月日が経っておりましたが、今回リノベ繋がりで久々にご縁が….嬉しい再会でした(^^)お二人はとっても仲良しで息がピッタリな素敵ご夫婦。お二人の力でゲストハウスもきっと素敵なものになるんだろうなーとワクワク。 私も春以降竹田方面に訪れる際は是非是非泊まりたい宿になりそうです。 朝と夜はカフェバーもされる予定みたいなので、宿泊者同士の交流も楽しめそうですね。 「竹田ゲストハウスプロジェクト〜いのまた・きゅかく整備事業〜」のFacebookページはこちら! https://www.facebook.com/taketaguesthouse/?fref=ts   最近は本当に、色んな場所で想いを形にする人たちがたくさん増えているなーと感じています。 九州も盛り上がって来ております! 竹田市は地図でいうと九州の真ん中の山エリアですが、最高の景色が楽しめる久住高原や密かに人気の長湯温泉など、しっぽり楽しめるスポットが満載。最近は移住者も増えて皆様独自の動きを色々している様子でディープな地域です。 色んな人との楽しいつながりで、私自身も九州を再発掘していけるといいなーと思う今日この頃であります。

壁を壊そう第3回!!! 川付の家(仮)掃除と壁破壊week

2017年1月28日〜2月6日(くらいまで)、福岡県糸島市にて、第3回のイベントweekを行います! 今回は、大体残置物の運び出しを終えたので、壊し系作業をメインで考えております。壁を壊してみたい方歓迎です!バールをお持ちの方はご持参ください..☆ 興味がある方、見学・ただの訪問も歓迎です。 いよいよ台所のプランへのイメージも膨らませようかなぁと思っているので、共に夢を描きたい方なども是非お越しください(^▽^)2Fの部屋割りについても想いを馳せる予定です!   〜今回予定している主な作業メニュー〜 <1F> 壁壊し 台所天井板を外してみたい 給湯チェック 台所の設計をしてみる <2F> 作り付け収納棚分解 掃除 窓の為のサイズ測り 板・タンス・畳(1枚)運び出し   作業期間中は現地にいないこともあるので、来られる方は事前にお知らせくださいませ(^^)姪浜駅ほか近隣の送迎可能な場合もあります、ご相談くださいませ。 facebookのイベントページはこちら https://www.facebook.com/events/1761285964192190/ 計画主:あまのもえ/天野百恵 090-4488-7117 keitai@moeama.net 汚れてもいい服装、汚れてもいい靴、帽子、(あれば:軍手、マスク)でお越しください。

「傷」に憧れていたヤングな頃の私

「うっ…今日は傷が疼くぜ…」みたいな..ハリーポッターの額の傷はすごいエピソードが!みたいな….何故少年少女の触れる世界観には”傷”がかっこよく描かれたりするのでしょうか。そして何故、実際それに憧れたりなんてしてしまうのでしょうか….かつての私に、その憧れ、要らんよと言いたい、虫歯の話です。   私は、そうガッツリと傷への憧れを抱いていた子どもでした(少女っぽさ無い..)。 額に出来たかさぶたを敢えて何度も自ら破り「怪我の紋章を作る」(?)と意気込んでいたあの頃は、幼稚園か小学校低学年の記憶です。何か傷が、特別なものに思えていた。自分を特別なものにしてくれるようなかっこいいものだと。   それから時が流れ、高校生になった私は、それまでの期間に憧れを募らせてきていた傷への想いをついに虫歯を抱える!という形で実現してしまうことになるのであります。   「虫歯がいてぇ〜」 「麻酔した」 「神経抜く」   そんな言葉を発するクラスメイトたちを、小中学校時代から、なんだかすごくかっこよく感じていた自分がいたのだと思います。なんか、大人っぽいというか。痛みを知る、みたいな。 そこで私は自分も虫歯を経験しようと歯磨きを敢えてスルーする取り組みを敢行。見事虫歯になるも、神経に到達せず治療も痛く無いしすぐ終わる。ヌルい!!と思った私は新たに麻酔を経験しようと立派な虫歯を作り込みました。 麻酔治療も無事経験し、闘いを乗り越えて、傷を作り、強くなった私…..   バカーーッ!!!歯は大事にしなさいバカーーーッッ!!    って今、思います。   大人になってみれば、いつのまにやら望まずともどこもかしこも傷だらけ(・ω・) 社会に出て、おのずとゴリゴリ磨かれる過程でいくらでも、そんな、かっこいい?ものは得られるのですね。   先日、この、強大な銀歯が取れまして。 元々鏡で(なんでこんなにごつい銀歯作ってんの私…怖..)とか思ってたのですが、改めて取れてみて、虫歯の深さにドン引きでした。 しかも銀歯のしたも虫歯になっていて(削るとなりやすくなるのよ〜)、次の治療では神経を抜くことになるだろうということに。神経を抜くと歯は死んでしまいます。抜歯への階段を一歩下ることになります。   8020運動を思わず検索…..。   これからは精一杯、歯を大切に生きてゆこうと思うわたくしでした。 そしてこの傷ものの歯を見るたびに、バカーーッって思うのであります。    

この道を往けば…

此の道を行けば どうなるのかと 危ぶむなかれ  危ぶめば 道はなし  ふみ出せば その一足が 道となる その一足が 道である  迷わず行けよ 行けばわかるさ (私編集)   元は清沢哲夫さんが書かれて色々なところでちょこちょこ見かけるこの有名な詩がとても好きです。   美しく咲き、照り映える花々も、いつかは散ってしまうものだから、 今私たちが生きるこの世でも、誰が常でいられるだろうか。 道も険しく迷いそうな深山に、今日もまた分け入るような毎日だから、浅はかな夢を追い求めたり、酔ったりなんかはもうするまい。 (私編集)   私はいろは歌も大好きで、ふたつの詩に共通する一歩踏み出す躊躇いの景色が繋がってゆくように感じられるのがとても心地よいです。   一歩一歩を踏み出す時に、藪に傷ついて怪我をすることもある。 それでも歩んだ道の先にあるのは、振り返った時に、私にしか生きられなかった人生としての景色なのかなと感じています。それはやっぱり、うまく傷が付かないように歩んだ人生が正解!とか誰かに褒められるとかでもなくて、私の場合はやはり私らしく、歩むのが道なのだろうと思っています。   これまでの私の流れの中で歩んだ道と、これから歩む道。 いずれにしても、大きな流れの中で、大切に踏みしめていきたいと思っています。

物語のある景色

物語が始まる時、そういう予感がとても好きです。この写真、googleさんのストリートビューの某景色なのだけど、あ〜、この抜け感!物語が始まる景色だなぁと思って嬉しくなりました。 バスを降りて歩く道の風景なのです。 私は、想像するのです。飛行機に乗って、空港に着陸して、地下鉄に乗って、その地下鉄が地上を走るローカル線に変わって、降りた駅で更にバスに乗る。しばらく行くと、降りるべきバス停に到着する。そこから歩いて10分くらい。この景色。私にとって何故かこういう部分がすごく大切に思えていて、その、ワクワクする氣分こそが、真実というか、その為にわざわざ飛行機に乗るのかもしれない、なんて思うのです。 だから家のアプローチも私にとってはすごく大切。ワクワクして思わず駆け出したくなるような景色の先にある場所、そんなところでたくさんの人を迎えたり、私が迎えられたりして暮らしたいなぁっていう夢が膨らむのであります。

「やってみて考える」がすごいあるなぁ…

私は何事もどうやら「やってみて考える」というのが基本みたいで、逆に言うと何も考えずに直感でやろうとし始めるところがあるみたいだな、などと考える本日です。 春から?住む予定の家をアレコレいじっていこう!としているのだけど、要は、やってみて考える感じなので、フワッフワしてるんですよね〜。壁を抜いてみて考える、みたいな。絵画制作のやり方も、完全にそんな感じで常にキャンバスと会話しながら進めるようなタイプなのですが…。 まぁ、なので私は絵を描く時と同じような感じで家と対話をしているようなやり取りを今後もしていくのかなぁと思います。しかしこの感じだとほんと我ながら、色々なことがハッキリしない!(笑) う〜〜ん、どうしようかな〜〜(=ω=)…って、本当に作品制作の世界。 いや、楽しいですね、ということで! しかし家を、住みながら、どこまでそんな感じでやれるのか、というか住むまでの段階でどこまで何をやるのかやれるのか、謎は謎のまま、しかし着実に、進んでいきます。 色々な人たちとのご縁が増えていき、その全てが刺激的で、とてもありがたいです。 背中を押してもらっているなぁと感じます。 しかしちゃんと写真を撮っていかないと…ついつい現地ではバタバタしていて撮り忘れてしまう!本日もご友人2名に来ていただき、大変捗りました!感謝です。

伊都安蔵里での買い物と家作業粛々

すこ〜しずつ、調味料などの常備材料も切り替え…ということで糸島市の伊都安蔵里(いとあぐり)で買い物をしました。醤油と油と、鰹節とちりめんじゃこ、という基本系のアイテム。鰹節はオリジナル商品みたい。パッケージのデザインが凝ってる。 いわゆる自然派系の人って、食へのこだわりも当然の如く強かったりするイメージがあるけれど、私はこれまでほんと無頓着で来たので、ほんと、じわ〜じわです。(自分は自然派なのか??) 引越し予定先の家関連作業も粛々と進行しています。本日は、持って来た植物を植えたり、屋根の補修や今後の改修について大工さん的な方と打ち合わせをしたり。どのように進めていくか、何をどう進めていくか、その都度考えながらやっていくのだけど、それらをどう組み立てるのか…難しくも楽しい時間です。 年度末に向けて、色々なことが進行してゆきます。 これまでの自分の感覚からするとキャパオーバーな氣もするのだけど、それをどうにか余裕を作り出す精神で、うまいこといい感じに収めていきたいなぁと思っております。 楽しい春は、もう一歩一歩近づいて来ておりますね….!

名前の漢字の「萌」と「百恵」

パブリック表記を「天野萌」→「天野百恵」へ…. この度2017年より、パブリックに今後使っていく名前の漢字を新しく設定することにしてみました。読み方はこれまでと変わらず「モエ」です。 「萌」は親がつけてくれた本名、生まれてからずっとこれまで仲良く生きてきました。そして勿論これからも。しかしこの度、活動名を漢字表記のみ「百恵」に変更することにしました。 天野百恵(あまのもえ) です。 なんで漢字変えたの? 今回のきっかけは、友人からのつながりでした。ある時Facebookを覗いていると、友人の名前の漢字表記がカッコよくなっている。それまでローマ字表記しかしてない友人だったので「漢字、こういう字だったんですねー!かっこいい!」と言うと、実は人に考えてもらったということを教えてもらいました。 こういったことって、どうでもいい人にはどうでもいいんだろうと思うけど、私は何だかワクワク。そのまま詳しく教えてもらいました。 ジャンルとしては皆様ご存知、画数から鑑定をしてもらう姓名判断。全然信じてなかった分野でした(笑)なんでかって、 名前の画数で人生が決まってたまるか! …と、思っていたからです。 でも今回はなんといっても友人の漢字もカッコよかったし、その漢字を考えた方に会いに行ってみることにしました。すると、まさしくその方も 名前の画数で人生が決まってたまるか! と思ってこの世界に入ったとのこと。そして、姓名判断を否定的な気持ちで研究するうちに数十年…。 なんでか分からんけどやっぱみんな画数のような人生歩んでる… という結論に至ったということでした。….不思議発見。 これまでの私とこれからの私 元々ご先祖様からのご縁と両親がつけてくれた名前は気に入っていて思い入れもすごく強かったし頑固に守り抜きたいような気持ちが長くありました。 でも今回は、もし名前で人生の流れに作用するものがあるとすれば、それを変えてみてどうなるか実験してみるのは面白い!と考えてみることにしました。 ついでに、色々しんどいことも続いてたのでここらでひとつ、流れを変えたかったのも大きい。人生実験。 読みと苗字は変更なし、漢字のみお任せのスタイル 私が考えてもらったところは下の名前の漢字のみ、お任せで考えてもらうスタイルでした。お任せなので、すごいドキドキです。変な漢字を画数だけで当てられないかヒヤヒヤ(笑)そうして出来上がったのが「天野百恵」という字でした。 「百恵」どう考えても「ももえ」と読むのが一般的なので、紛らわしさだけはピカイチです。 そしてインターネット上でも変更の旨伝えると、早速数人の人から不評メッセージやコメントがwwww やはり山口百恵世代の男性です!!!!!www (若い人は知らないよね〜) 「本名の漢字の方が絶対いい」「山口百恵を連想して気持ち悪い」など色々言葉を投げかけていただきました。 私としても自ら「百恵」という漢字を好みでを選んだわけじゃないけど、やるといったらやる!!壮大な実験実践なのじゃ!!スルー!!!!というわけで、無事に漢字表記を変更することを貫きます。 どっちでもいいのでよろしくですよ 元々、本名の私とのお付き合いがあった皆様はもちろんそのままでOKだし、みんな、統一してくれよな!!とは思っておりません。ただ、多分新しい漢字の名前は使えば使うほどいい感じになるらしいので、できれば皆様も積極的にニュー漢字名を認識いただき、バシバシ使って私の運気がグングン上昇している様子を観察いただければと思います(ポジティブなイメージ)。 今後とも、天野百恵(あまのもえ) をよろしくお願いします〜(^^) 人生ますます楽しくなって参りますぞ〜!

お正月から日常へ。それと読書。

年末、12/23から糸島で春から借りる予定の家の片付けをバリバリやって、予定より長い30日までの作業になったこともあって結局お正月も福岡で過ごしてきました。もう随分年末年始に帰省するという習慣はなかったのだけど、居てみれば、親類は集まってるしおせち作ってるし鏡餅しっかり飾ってるしお雑煮食べてるし、みんなしっかりお正月をしていた….。     そして、子どもたちがいると、なんだか親類の場も華やぐ。元々予定にはなかったものの、いい時間を過ごさせていただきました。顔を見せて喜ばれること、見守ってくれている眼差しを感じること。それぞれの素晴らしさを味わう素敵なお正月になりました。   そして本日1/3に大分の家に一旦というかなんというかで戻りました。今の家には住み始めて1年と1ヶ月くらい。いつの間にか、戻ってくるとホッと心が落ち着くような家になっていました。本当に不思議なのだけど。娘や息子も同じように感じていたみたい。でも春からは引っ越そうとしているので、とても寂しい氣持ちもあるのです。元々はこんなに早く今の家を離れるつもりは無かった、とても好きな家なので心は複雑です。   でも次のステップというか、飛躍なのだと思っているけど、その為には、やはり動いていくという流れもあるのだなぁと、早い展開に付いていけないような氣分を味わいながらも、目の前のことを進めていこうとしています。勿論、次の場所では楽しみでワクワクすることがたくさんなのであります。   年末にまたしても古本なのだけど注文した本が届いておりました。 これまであまり知ら無かったのだけど、有名な奈良のお店「くるみの木」の石村由起子さんの本です。 (読みかけの本が溜まっております….楽しいですが、まとまった時間確保がなかなか。。)

2017年もどうぞよろしくお願いします。

明けましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。 2017年も、どうぞよろしくお願い致します。   今年は、動く年にしようと思います。 母親としては、こどもたちに対して寛大で優しい人間で在ることを目標に。       元日は、快晴の空に明るい朝日を浴び、夜は美しい月と星を見上げる、素敵な1日でした。 2017年が希望に溢れワクワクする日々が輝く1年になりますように。