Month: January 2019

2019/02/3開催!Vol.1「里山森とスープProject」キックオフイベント

あたらしいプロジェクトをはじめます。 くるくるハイツ発起人の天野百恵(あまのもえ)が、新しいプロジェクトを始めます。名前は「里山森とスープProject」。私たちが、自然の恵みに生かされているということに気づき、感じるためのプロジェクトです。 プロジェクトは年に数回のイベントをベースに行っていく予定です。基本柱はふたつ、自然観察とスープを味わうという内容です。また、今回のプロジェクト開始に当たり、天野百恵もプロジェクトと同じテーマでのアート作品制作を開始します。イベントの時に展示なども行っていく予定です。今後はトークイベントなども開催予定です。 今回は、初回のイベントということで、キックオフイベントとしました。里山での食にとても詳しい、糸島在住のカモジジジュンコさんを招いて、くるくるハイツ周辺の野山の散策(食べられる野草が見つかるかも!)と、イベント当日の節分の日にちなんで豆のスープをいただきます。プロジェクトのイベントを通じて、日頃から自然に癒しを感じるなぁ〜と思っている人や、田舎暮らしに興味がある人などが、改めて日々の暮らしと命がたくさんのものに支えられていることに気づけるような、そんなホッとした時間を味わっていただければと思っています。 Vol.1「里山森とスープProject」キックオフイベント 開催概要 イベント名:Vol.1「里山森とスープProject」キックオフイベント 日時:2019年2月3日(日)10:30~13:00くらい 参加費:大人ひとり1500円、子どもは小学生まで無料 定員:先着10組 持ち物:※下記「あったら便利なもの」参照※ 申し込み方法:参加者名と参加人数(子ども参加の有無)を書いてメール contact@moeama.net までお申し込みください。 場所:くるくるハイツ(福岡県糸島市) アクセス方法:くるくるハイツに来られたことが無い方には個別にご案内します。交通は自家用車が便利ですが、一応バスもあります(バス停徒歩10分) 当日連絡先:090-4488-7117(あまのもえ) Facebook内イベントページ:https://www.facebook.com/events/533870663688412/ イベント内容詳細 2019年2月3日 節分 節分から立春へ(2月4日=)春のきざしを見つけに/ 野の草花を観察しながら、里山を散策するフィールドワーク くるくるハイツのある糸島市長糸地区は、佐賀県との県境に連なる背振山地に源を発する、清流長野川のほとりに広がるのどかな田園風景の中にあります。このように、自然と人の生活が接している里山は、人の手が程よく入っていることで、自然と人の生活との理想的な調和が保たれ、豊かな自然の恵みを身近に感じることができる場所でもあります。今回は節分そして翌日に立春を迎えるということで、まだまだ寒い日が続いていますが、すぐそこまで来ている春のきざしを見つけに、長野川の支流に沿って里山の景色の中を歩きます。実際に長糸地区を歩きながら、里山の成り立ちを解説しつつ、陽だまりの中に咲く野の花や、食べられたり身体の手当に使うこともできたりする春の野草、偶然出会える生物などを観察しつつ、一足早い春の訪れを楽しみましょう。 簡単なフィールドワークですので、ただただ散策を楽しむも良し。途中で草花の解説もいたしますので、メモを取ったり写真を撮ったりするも良し。みなさんのそれぞれの形で工夫しながら、散策を楽しみましょう。野の草花はそこの環境を好んで生えていますので、摘んで家に持ち帰り飾ることはかなり難しいと思ってください。薬用や食用の有無などの勉強のために、サンプルを摘むのは良いと思います。 あったら便利なもの(なくても大丈夫です) ・メモ&筆記用具 ・カメラ付き携帯電話or カメラ ・野草ハンドブック ・花ばさみ ・サンプル用に押し花or 押し草をするノートや雑誌 (新聞紙やキッチンペーパーなど、吸水しやすい紙で包みノートに挟むと保存しやすいです) ・暖かい服装=翌日から立春という春の暦になりますが、風が吹くとまだまだ寒い季節ですので、当日の気温などをチェックして防寒着や帽子、手袋など、寒くない服装を準備してください。 ・汚れても良い靴=場合によっては、川岸まで降りることがあります。また里山との境は、山からの水が湧き出ていてぬかるところもあります。歩きやすく、万が一汚れても良い靴でお越しください。 **** 立春のスープ=呉汁 節分に豆を撒くというのは、季節のは境に生じると言われた邪気(邪鬼)を追い払うという意味があります。豆を魔目と読み、それを炒る(射る)ことで魔を封じ、その豆で邪気を追い払うのです。 ということで、今回のスープには、節分に豆を食べるという習慣を形を少し変えて、日本各地に伝わる郷土料理である呉汁を作ります。大豆を水に浸し、擂り潰したペーストを呉(ご)といい、呉を味噌汁に入れたものが呉汁です。秋に収穫された大豆が出回る秋から冬が旬=まさに節分は大豆の旬の最後なのです。呉汁に入れる大豆以外の具材は、人参、大根、ごぼうなどの根菜類、豆腐、厚揚げ、油揚げ等の大豆加工品、葱、芹、唐辛子等の薬味、芋がら、こんにゃく、椎茸、煮干し、鶏肉等で地域によって様々です。擂り潰した大豆と野菜類が豊富に入った呉汁は栄養価が高く体が温まり、冬場の郷土料理として日本各地で昔から親しまれています。 今回は糸島産の無農薬大豆や自然農法で作られた大根を始め、こだわりの材料を使い、フィールドワークで摘むことができたら、その野草なども汁の実として取り入れたいと思います。 今回のゲスト、ジュンコさんについて カモジジュンコ/さくらい里山工房 東京都の郊外の調布市出身、糸島在住歴6年。 30年以上サーフィン・ジャーナリストとして、世界や日本各地を旅し撮影&文を専門誌に提供してきた傍ら、サーフィンから派生したポップカルチャーの取材、旅行雑誌、食の雑誌などで撮影&分筆をしてきました。東日本大震災後、旅と原稿の締め切りに追われる都会生活から、人が人らしく生きられる本来の生活へシフトするために、東京世田谷から糸島へ移住。里山にある築90年以上の一軒屋に移り住んだことをきっかけに、以前のキャリアから実験的里山生活に重点を置くようになり、そこから生まれたものを発信すべく、里山の恵みを活かしたものや伝統的な保存食作り、野草や薬草の知識のシェア、イノシシの解体、季節ごとの料理や行事のWSなどを開催したりしています。 今回は里山生活のエキスパートの一人ということで、このプロジェクトに参加させていただきました。皆さんが、里山を通して自然と触れあうこと=アーシングで癒しを感じたり、自然と人間の調和が生み出した里山の豊かさを実感したり、それを楽しむ時間のお手伝いができたらと思います。よろしくお願いします。 春迫る良き日、皆様にお会いできますことを楽しみにしております。 ARTS PROJECT SCHOOLは平成30年度戦略的芸術文化創造推進事業「全国に文化芸術プログラムを作り出すアーツプロジェクトリーダー育成事業」として文化庁が主催し、一般社団法人コマンドNが運営を行っています。「里山森とスープProject」はARTS PROJECT SCHOOL 福岡校スクール生実施プロジェクトです。

【福岡・佐賀】📺2019/01/18(金) 情報番組「アサデス。」にちょっと出ます

テレビに出ます。※福岡と佐賀ローカル 【福岡・佐賀】📺2019/01/18(金)7:10~7:20 KBCの情報番組「アサデス。」内の「朝イチスクープ」に私と子ども達と家が数分間登場予定です。切り口は子育てと移住。数分間なので一瞬ですが、機会ある方は見てみてください。放送後はオンラインでも見れるようになる予定です。https://t.co/XnEWVtsFns — moe amano💫天野百恵 (@moeama) 2019年1月16日 というわけで、テレビの世界の動きは私からするとマジ早なのですが、本日16日に半日撮影に費やし、4分前後の内容に明日編集される私のような何かが、明後日の朝テレビに出ると思われます。 告知でお知らせはしているものの、テレビはこちらで事前に内容確認が出来ないので、ヒヤヒヤ。いい感じに編集されることを願うばかりです….!ディレクターのH殿に長々とメールなど送りましたが、どうぞよろしくお願い致します….!!(公開メッセージ) 我が家にはテレビが無いので、オンライン公開後に確認予定です。(このページを編集してオンラインのURLを追加します) 現在時点の振り返り 先週連絡があり、このお話がスタート、その後娘がインフルエンザを発症したりして色々ありつつもどうにか撮影を終えることが出来ました。なんだかんだテレビも三回目(※全部ローカルで数分間)となったワタクシ。撮影自体はやや慣れ??その割には…..なこと多かったが….。しかしとにかく毎度ながら子どもたちが有象無象な動きをしまくり大変で、疲れた….。 放送内容についても、ちょっとした部分で出さないでほしいと言った情報を巡ってそこそこ長時間粘り戦になり、結構消耗….(苦笑)でも粘った….よろしくお願いします。テレビ側の出したい意図とこちらの希望は常にイコールであることは本当に稀。でもこちらの気持ちも尊重していただきたいところ。よろしくお願いします! あとは、ディレクターH氏の手腕を信じて!!!!期待を高めて!!!参ろうと思います!!!!(プレッシャー) 内容としては、子育て世代が移住したい場所に去年糸島が某雑誌でナンバーワンだったらしく、何故かそれで私が出るという….SEO?(まぁ日頃から名前と顔をネットに出してるからね….(=ω=)ふふ) 糸島が何故子育て世代に人気なのか、そもそも移住とは…..?みたいな謎はありつつも、一応、糸島エンジョイしてます〜という話と、なんとなく我が家活動くるくるハイツについても触れていただけるかな….??(移住の切り口関係あるか謎だけど。いや一応ある….) とりあえず今回も力を出し切ったので、良いものになっているといいな〜と思っています。機会がありましたら、見届けてやってください。

2013年に体験した鶏屠殺ワークショップレポートagain

2013/03/23に参加した、にわとりの屠殺ワークショップのレポートブログ記事をこちらにも再公開します! 解体中の写真があるので、苦手な方はスルーしてください(個人的にはそこまでグロくないと思っている)。でも最後に自分で書いていた感想は我ながら素晴らしかったので、命と、殺しと食べ物について興味ある人はぜひ読んでね!(笑) ご友人の手伝いという形まで発展した屠殺ワークショップに初めて参加してきました。今回のレポ記事はワークショップ中に撮った写真を惜しみなく公開します。鶏がお肉になる様子です。 ワークショップを主催してくれたのは、O:NIKU Stationという名前で活動しているご友人。 つい私のおばあちゃんの世代には比較的身近なところにあった、生きた鶏を解体して食べるという日常生活の中の行為、今まさに10年後には全く分からないことになるようなそんな、かつては当たり前だった「命をいただく」ということについて、ワークショップを通じて考えます。 まずは座学。 主催の桂さんがこのワークショップをやることになった経緯、それぞれの参加者の自己紹介、そして作って来て頂いたテキストを読みます。 テキストは鶏と日本の文化について。卵を生む用の鶏と食べる鶏は別なこと、卵を生む用の鶏はひよこの時点でオスは全部廃棄されていること、食肉用の鶏は生後50日で大人の見た目になるやつが使われていること(普通は半年)など。 元々食べられていなかった鶏の話から、昭和40年くらいから食肉の鶏産業?が出来ていった話など。人間がいつ他の動物の肉を食べ始め、宗教的な理由などでそれを禁忌としたのか、そういう流れが個人的に気になった…。 屠殺の方法と解体の方法についても説明。屠殺の方法は三種類あるとのことだった。   鶏が本日連れてこられる途中で生んだ卵。鶏は元々年間20個くらいしか卵を生んでなかったのが、現在の品種では毎日生むくらいのものになっているらしい。生まれて約二年でお役御免となり、加工食品になるのが卵用鶏の流れとのこと。今日の鶏はそんなお役御免の卵用鶏。 鶏さん。うるさいのはオスだけで、これはメスなので静か。「コー」と言ってるのが結構癒される感じ。 鶏さんを捕獲。おとなしい。 羽を縛る。暴れないように。鶏さん嫌がる。顔を手で覆って暗くするとおとなしくなる。 いよいよ切る場所の指導。本日は初体験の女性が挑戦。首のここを切って、との指導。 動脈を切って、血を出す。なるべく苦しまないように(暴れないように)上手くやるのが大切。主催のご友人は前日夜に必ずこの時にスムーズにいくように、しっかり包丁を研ぐのだというお話をしていたことが印象的。 鶏から血が出る。そんなには出ない。死んでいく時間。ゆっくりと止まっていくような時間が流れる。   命が絶えた後は毛を抜く。75度のお湯に浸けると抜けやすくなる。 何度も繰り返して一生懸命毛を抜く。大変な作業。ここで美味しそうな外側の見た目を作ることになるので根気。 鶏さんの首は毛を抜く前に切り落とされた。鶏さんありがとう。 毛を抜いたらいよいよ解体。もうお肉みたいだけど、まだまだこれからが大変。 桂さんの指導を受けながら頑張って解体していく。 身体の仕組み、どこに何があるか、どうすれば効率良く作業できるか、、 知識と技術の世界。 なかなか大変な解体作業。何度も日常的にやらないと覚えられそうにない。 逆に言うと、このような作業は何も特別なものではない、生きる知恵として必要とされたからこそ受け継がれて来た知識と技術なのだ、とも感じる。 お肉パーツを切り分けていく。 いよいよ内蔵。お腹の中身。 これはガラ。 内蔵と身体の中心。卵が作られる場所が分かった。黄身の素が大小いっぱい付いてる。身体の中心にあった。   解体終了。これから料理の段階に。 鶏さんをいただきます。 ワークショップの感想と参加者の人と話をしたことについて。 私は元々去年(2012年)くらいから、屠殺についての気持ちが高まり、自分が殺せないなら肉を食べる資格なんて本来無いんじゃないだろうか、と思って今年それを体験しようというのは密かに考えていたことだった。今回そういった機会を得て、実際に目の当たりにしてみて、思った以上にこれまで自分が感じていた違和感や分からないなと思っていたことが解決していくような、腑に落ちる感じがして、本当に参加して良かったと思った。 また同時に、これは特別なことではなくて、単なる、人間(動物)が生きていくために行って来たひとつの在り方の形であって、一種のパフォーマンスめいたものとして捉えることは全く違うとも感じた。日常的に行わなければ、技術が身に付くこともないし、そういった意味で一回見たからといって何か終わりという類いものでは全然ないという気持ちが強まった。参加する前は「一度体験せねば」というような気持ちだったので、ひとつの大きな変化かもしれない。 鶏さんがお肉になっていく過程を見て思ったことは、日頃、鶏/固まりの丸ごと肉/バラバラになって売られているお肉、というのはそれぞれ切り離された個々のパーツでしかなかったものが、ひとつの流れの中で繋がってみれたことが、なんだか不思議な感じがした。それぞれのシーンで知っている姿ではあった。でもそれがひとつの時間でつながっていた。 鶏の首に刃を入れた女性の言葉が印象的だった。自分は、冷静に取り乱さず出来るだろうという気持ちで、実際冷静な気持ちで取り組んだけど、終わってからしばらくひどい耳鳴りが起こった、と言っていた。頭で考えていることと実際感じていることの違いについて意識させられたそうだ。実際はきっととても緊張したということなのだと思う。 刃を入れることをした人としない人でも、屠殺の経験は全く違ったものになるのだろうとも思った。次は私もやらなければと思った。 死んだばかりの鶏さんの身体は命そのものが溢れているようだった。 毛をむしったり、解体したりの作業は結構大変な手間で、自分が日常的にこれをやってまで鶏食べたいかというと、そうは思わないので、その程度には飽食の時代なんだなとも思った。半年に一度くらい「鶏食べたい!!!」というのがどうしても出て来た時にやるのかもしれない、とも思う。自然な命を頂く数は本来そういう感覚でペースが維持されているのかもしれないとも思った。手間をかけることについても、改めてちょっと意識した時間だった。 お肉や内蔵は理科の授業みたいで興味深かった。動物の身体は綺麗だと思った。 全体的にそうやって普通に興味深く観察をしていた自分について、意外と普通だなと思っていた。鶏の命がお肉になることについて意外と普通だなと。でも上に書いた、実際に刃を入れた女性の話で、私が刃を入れていたらまた全然違うのかもしれないとも思った。 でもなんだかあまりにも自然に思えて、不思議な気がした。 もっと、鶏さんに対して可哀想とかヤメテ!とかいう感情、食べたくないという感情が出てくるかなとも思っていたけど、全然無かった。 今思えば、そこに残虐性が無かった(と感じた)からかもしれない。 刃物を入れる為に鶏を押さえる時にいわゆる「痛めつけてやる!」とか「覚悟しろ!」みたいな感情は一切ないのは十分に感じ取れるわけだったし、むしろ「よしよし大丈夫だよ、ありがとな」といった穏やかな心があったからなのかなと思った。 ワークショップの会場になった、うちの大家さんの家に住んでる女の子が飼ってる小型犬が後半に来て、うちの二歳の息子がその犬のしっぽをひっぱって怒られたりしていた。その時、犬に優しくしなさい、痛いのは嫌なんだから、、と言っている自分について、さっきの鶏についても、同じなのかなと思った。鶏さんも痛いのは嫌だし、優しく、苦しまない様にする、というのは犬に対して優しくする気持ちと同じ感情のように思えた。 その時、死は特別なものじゃないんだ、と思った。犬も自分も鶏も、死は生と同じくらい当たり前にすぐそこにあるもので、そんなに大きな違いがないんだと感じた。ずっと「命を大切に」という言葉からは、生き物を殺して食べることへの矛盾が埋まらないという葛藤を感じて来たのだけど、それが腑に落ちた。その言葉だと虫なら喜んで殺すくせに猫や犬を殺すとひどく非難される、人間の文化についての違和感もずっとあったし、そういった意味ではとても良い感覚に出会えたと思った。 またそれと関連して死にゆく鶏さんについて、何かを守る為に死を覚悟する人間のことなどが後から連想された。人も死を受け入れる時は来たりする。どんな理由でかは別として、もう死ぬしかないといった時に、自分もああいった風に穏やかに世界が閉じていくような感覚に至るのだろうなとも思った。その時、自分だったら、美味しく食べられるなら本望だな、という気持ちが浮かんで、そういう気持ちは今まで思ったこともなかったから少しびっくりした。誰かの何かの役に立つ死なら、受け入れやすくも感じた。食べられるって何か素敵なことだなとも思った。こんなに都合がいい考えが自分に浮かぶことにはちょっと笑えるけど。 ともかく殺すこと、死なせることは特別なことではない、むしろ生きることと表裏一体、同じことでもあるのだ、自分が生きることは誰かの命を頂いているということだというのが沁みた。ありがたい、という気持ちがよく分かった。鶏さんの命は私の身体の一部になってくれた。鶏さんが今日まで元気で生きて私の一部になってくれたことにとても嬉しく感じてありがとうと思えた。命は「大切」なんじゃなくて「尊い」のだという感覚。 逆に、これまで形式的な教育で身につけた「いただきます」という言葉、今書いていることも、人から口では理屈で教わってきたこと、なんて実感の伴わない中身の無い感覚だったのだろうかと思い少し愕然ともした。やはりこれは知らなければいけないことだと思った。パック肉では分かりっこないことだとも。 参加者の人とも色々な話をした。印象に残っているのは「土葬されたい〜〜」と言い合っていたこと。死んだ時に土に還ることが出来るっていいなぁと感じて、自然とそんな話をしていた。鶏さんの死を見て、自分の死についても感覚が自然なかたちで近づいて開かれているような気分だった。 同じく参加者の人が、かつて与那国に一時期住んでいた時、そこに行った時は菜食主義者だったという話も興味深かった。菜食主義者だったけど、力仕事をしていたら体力が足りなくなって倒れる寸前までいったとのこと。その夜唐揚げを大量に食べたら元気がものすごく出たということだった。都会での暮らしなら菜食主義でもいいんだろうけどね、と言っていたことも印象的だった。その人は自分の身体でもって、お肉の力の大切さを感じ取ったのだなと思って、それこそまさに、命をいただくありがたみの極みだなと思って感動した。そんな体験は実際はなかなか出来ない。でも昔の食べ物が貧しかった時代の人はそれもよく分かっていたのだろう。だから命をむやみに殺したりせず大切にできるのだろうということも分かる。 鶏さんの命を通じて、本当に色々なことが実感として分かってすごく良かったと思えた。 自分はこれからもパック肉は買って食べることは出来る、そういった意味で人間が変わるということは無い、それはそれで良いのだとも思う。自分が育った時代や文化について突然切り離して考える程極端にはならなくてもいいとも思っている。ただ、そのパック肉から派生している問題があるとすれば、自分なりの態度で新しい取り組みは始めていくべきだろうと思った。パック肉に入っている鶏さんは何羽なのだろうかということくらいは、考える。 最初にも書いたけど、10年後20年後には日本でほとんど消えてしまうような、人間が手を使って命をいただくという行為の知恵と技、それについてはこれからも積極的に考えて何かしらの形で自分の動きにも活かしていきたいと思った。

くるくるハイツの仲間たちによる、かっこいい集合写真

先日、色々あって日頃くるくるハイツの活動に関わっていただいている方々で集合写真を撮りました。皆様いつもお世話になっております!ここに写っていない人たちでもたくさん応援いただいている方々もいるので、本当にくるくるハイツはいつも大感謝なのです…….!! しかしこの写真むちゃくちゃカッコよくないか??? ただそれが言いたくて投稿してる記事です。 素晴らしいメンバー!!!全員のツワモノ感がすごい!!なんだろこれ、あれ、サイキック能力で地球を救ってしまうメンバーみたいな、そうそう、それがむっちゃありますわ。 娘とか、泣き声が敵を狂わせる能力とかのやつ。息子とか手裏剣の使い手だったりするパターンの(ヨーヨーでも可)。インテリジェンスあり、玄人あり、パワーあり…..なんかもうこれ映画いけそうですよね。(暴走) というかもういっそこれ地球を救った後の写真ですよね。爽やか〜。地球の平和は守られた〜〜。 いい写真が撮れたな〜と、ただそれだけの個人的な記録です。ブログに載せる為に撮ったわけではないけど….。皆様当日はわざわざご集合いただきありがとうございました!!

「死ぬまでにやりたいことリスト100」を考えた。

ご友人つながりで知ったブログで、死ぬまでにやりたいことリストが公開されていて、面白いな〜と思ったので、私も作成してみました。 32歳記念!「死ぬまでにやりたい100のリスト+α」3度目の振り返り 100はなかなかキツいだろうなと思ったけど、細かいこと入れていくといくらでも増やせる、というか、ひとつにまとめられる気がするやつもあるし結構ざっくりに….。 日頃いつ死んでも悔いが無いように思って生きておりますが、可能な限り、願いもどんどん叶えていきたいなぁと思っています。 「死ぬまでにやりたいことリスト100」20190110ver. 大学院にいく 留学する 海外での暮らし ウユニ塩湖にいく 南の島の透明な海を泳ぐ 再婚する 東京でも仕事をする 世界でも仕事をする 家を複数ゲットする メディアに出る仕事をする 人に教える講座を持つ 人に教える仕事もやる アート活動でのしっかりした収入を実現する 外国人の友人をたくさん作る 飛行機や新幹線でホイホイ移動できる自分になる でかい仕事をたくさんする 本を出版する 英語での円滑なコミュニケーションを達成する 生涯現役 ベルギーに行ってワッフルを食べる フランスの田舎に行く 陶芸での作品制作 家族旅行を国内海外含めてたくさんする 大好きな車をゲットする 成人した娘と息子と一緒にお酒を飲む 車での旅と車中泊 面白い博物館、美術館、水族館にたくさん行く パートナーと生涯愛し合う 野外フェスに行ってみる 豪華なホテルに泊まる アーティストインレジデンスに行く 国際美術展に出展する 世界の第一線で活躍する人たちと友達になる 良い庭を持つ 子どもと一緒に学ぶ 出雲大社に行く マリメッコの服を着る 困っている人を助けることができる心のゆとりを持ち続ける 夢を与える 希望を見せる 素敵な街に住む 圧倒的親孝行 自給力の高い暮らしの追求 歳を重ねるにつれ美魔女になる ランニング、運動の習慣を身につける アメリカに行く クヌギの森を作る くるくるハイツの母屋と周辺建物が快適に使えるようになるまでがんばる くるくるハイツをいつでも帰れる実家のような場所にする 野菜自給の幅を延々広げていく 何倍も美しくなる化粧技を体験する 知覧に行く 事業を興す、組織を作る おいしい料理をたくさん作れるようになる 引き締まった体を維持する ミーレの食洗機をゲットする また京都に住む 社会貢献活動をやる ご縁のあった人に挨拶をする 「楽しかった」とちゃんと言う 感謝を伝えていく 悔いの無い選択を意識し続ける 若々しさを大切にする 美術館で個展をする 里親にチャレンジする モデルをやってみる 自分のお祝いのための盛大なパーティ クジラと出会う 「私も若い頃はヤンチャしたもんよ」と言い色々やらかした過去を暴露する 孫を抱く 財を成す ダンスを楽しむ 誰かのヒーローになる 花(チューリップとか)を育てる 養蜂 ワクワクする空間を新築でゼロから考えてみる パリのアパルトメン的素敵な都市集合住宅に住む オペラを観劇する オーケストラの演奏会に行く 能に詳しくなってたくさん見る 専門家になるための道の追求 ギリシャのサントリーニ島とか海沿いの美しい町を色々旅してゆっくり滞在する 人間的成長 夢を見る 人に頼りまくる アニメーションを作る 版画作品シリーズを作る 最高のアトリエ(スタジオ)を持つ ジャズの生演奏を聴く ピアノを練習する 福岡市内でアートセンターを作る タクシーに甘えられる自分になる 自動運転車の中で寝る 占星術の知識を実用レベルまで高めて役立てる 海外に住む友人宅を尋ねる これまでと分野の違う大学に通う 肉まんを作る ブレンダーをゲットする 自分亡き後にも誰かの元気になるようなものを残す おもしろ建築をたくさん見に行く   大体似たり寄ったりなことがありつつ、でもやはりこうして明文化して公開するのは意義深いですね。どこまで行けるか分からないけど、行けるところまで突き進むぞ〜〜〜。