お友達の個展に行って来たよ。
京都在住時代からのアーティスト友人、トミー(富永大士くん)の個展が、山口県の宇部市で開催ということで、車で2時間ちょいかけて7月下旬に行ってきました!
京都在住時代からのアーティスト友人、トミー(富永大士くん)の個展が、山口県の宇部市で開催ということで、車で2時間ちょいかけて7月下旬に行ってきました!
先日ついに脱穀を迎えた、人生初の稲作「くるくる田んぼ2020」。感慨深い気持ちになったので、春から秋(冬…)までの流れを振り返ることにします。季節と共に生きる。美しいですなぁ。 春は種籾撒きから。やり方を教えてもらって、苗床を作ります。 お米の苗が生えて来た! 7月前までの期間で田植え。お友達に手伝ってもらって、どうにか完了。結構大変な作業だったけど泥に入ると謎の癒しがあってよかった!子ども達も楽しいタイミング(水遊び泥遊びで)。 この時期草刈りをサボったのが秋まで響きましたが夏。勝手にグングン成長。すごいなぁ。 少しずつ稲穂も育ってきた。何もしてないのにすごいなぁ。(草を刈ろう) 秋が来て、ついに稲刈り!展覧会の作品制作や腰痛と完全に被ってスケジュールが瀕死に。色々な人に助けを求めてどうにかゴリ押しで完了….。 はざかけは3週間くらい干すとのこと。途中風が強い日があって稲が落ちまくったりしてまたヒィヒィ言ったりしつつ、展覧会準備で放置。鳥に食われまくりつつ….。 だんだん乾いてくるお米。最後に熟する期間という意味合いもあるらしい。 展覧会も無事に始まり、いよいよ脱穀! 足踏み脱穀機の次は、唐箕(とうみ)で米粒以外を吹き飛ばして分別。 お米になった! このお米から、また次の春のお米が生まれて来る。自然はぐるぐる回っていきます。私たちも自然のリズムの中で美しい振る舞いをしながら生きていけるといいなぁと改めて感じる、実りです。
以前とある社交場で、シングルマザーとしてのアイデンティティを輝かせて活動してる歳上の女性と出会ったことがある。
すべての皆様にありがとう!! 2018年3月で、このくるくるハイツ活動は1周年を迎えることができました。「くるくるハイツ」としての名前を名乗り始めてからはまだ1年経っていませんが、家活動は引越し前の片付け(2016年末)から開始していたので感慨深い一区切りでもあります。 この1年、自分では先のことなど全く考えずに(というかマトモに考えてるとやれないようなことに)ひたすら、目の前の、やれることをやる!というモットーだけで突き進んで来たなぁと思っています。そして振り返ってみれば、本当にたくさんの暖かな人たちとの出会いや助けに励まされて、十分過ぎる果実をたくさん受け取った1年でもありました。 去年の春はやる気を出し過ぎて、4,5,6月は腰痛で4回程度動けなくなったり風邪で体調を崩して寝込んだりも多かった時期でした…。 10月から11月にかけて開始した人生初のクラウドファンディングは、春から構想を練り、写真家ご友人に撮影を依頼したりと多くの方々に応援していただき、無事に目標を達成することが出来ました。様々なかたちでご支援いただいた皆様には改めて感謝申し上げます。 クラウドファンディングの終盤からは、ふたつの大きな予定、TEDxFukuokaへの登壇と九州芸文館での展覧会が入り、どちらもとても貴重な舞台に立たせていただく機会に恵まれました。 12月、1月は家の中が荒れまくりそうでヤバい予感….と戦々恐々としていた部分も、日々の神頼みが功を奏したのか強力な助っ人滞在者が現れ、どうにか乗り切ることが出来ました….。様々な奇跡に支えられて乗り切ることが出来たありがたい機会となりました。 現在は3月半ばに展覧会の作品搬出を終え、晩秋から滞った仕事関連の動きや家の改修関連の動きを整えつつの毎日です。 しかしもう年度も明けて4月になってしまいましたねぇ….! くるくるハイツ、2018年春の新たな動き そしてくるくるハイツも、いよいよ新年度!な春ということで新たな動きも始まっています。 ひとつは、先月もイベントを開催した熊本の友人による、こども対象のユニークな私塾「ねっことはっぱ塾」の糸島支部的な窓口活動の動きです。糸島はオルナタティブな教育への関心が高い方々も多くおられる印象なので、大人も子どもも楽しく生きていける学びの場のようなものを模索できるよい機会になっていけるのではと期待しています! もうひとつは、福岡市内ベースで昨年活動を開始した、日本みつばちの養蜂に関する活動を行っている「Bee’s Knees Farmers」さんの活動にくるくるハイツとしてもコミットしていく形になりました。 どちらも、既に自らのフィールドで活動をされている大変面白く志のある方々で、糸島くるくるハイツの立地やそこに縁ある人たちとの輪を繋げていけるといいなと思っています。 この辺りの絡みも具体的な情報はまた随時情報更新していきます。 改修も進めます!!! それとすごく大事なこれ。これがなくては始まらない、未だくるくるハイツは台所も未完成だし私の部屋も出来てないままなので、いい加減春以降はこのふたつをサクーーーーと終わらせていきます! そうしたら少しずつ家の中も可能性を拡大していけると思うので、改修系のワークショップなども引き続き考えながら、ワイワイ楽しくやっていけるといいなと思い中です!!!!やるぞ!!とりあえずこれからの季節は毎晩でも庭でBBQやりたい勢いです。 *** そういったわけで、この1年の振り返りと、ちょこっと最新情報のお知らせでした。 TEDxFukuokaでの登壇についてや、展覧会についてなど、その他もろもろ振り返りたいこともたくさんあるので、なるべくブログの更新頻度も上げれるようにしたい….というのをこの場での新年度の抱負とします。 本当にありがとうなのです。 改めまして、この1年、色々なかたちで応援してくれた皆様に本当に感謝感謝です。これからも、色々アホなことやらかして皆様からの叱責を頂いたり失笑を買うこともあるかもしれませんが、引き続き「やれることをやる」精神で邁進していきたいと思いますので、天野百恵及びくるくるハイツをどうぞよろしくお願い致します! 遠方から訪ねて来てくれた皆様も、またぜひいつでも遊びに来てくださいね(^^) まだ見ぬ皆様にも、お会いできる機会を楽しみにしています!
春夏秋とじわじわ準備してきたくるくるハイツのクラウドファンディング、ようやく昨夜公開しました!皆様あたたかいご支援をよろしくお願い致します!! 今回のクラウドファンディングのページでは、私が京都でアーティストとして作家活動をしていた時から、出産、moetacuという住み開き活動からの田舎での場所探し、大分県での挫折….などこれまでのことについても順を追って説明をする初の機会となりました。 そして現在の福岡県糸島市に辿り着いた私が「くるくるハイツ」と名付けた家で活動を始めます。その家の現在や未来への想いなどを盛り込み、渾身の1ページを作りました!! 初めて見る人にも、以前から私の動きを見てくださっている方にも「なるほど!」と思ってもらえるようなページ作りを目指しました。ぜひぜひ見てください!そして、ご支援やSNSでのシェア拡散を何卒よろしくお願い致します!! https://camp-fire.jp/projects/view/37158 画面はスクリーンショットでこの記事の投稿段階のものですが、既に7人のご支援を受けて第一目標の金額の20%を超えるご支援をいただいております…!!本当にありがとうございます!クラウドファンディング内のページに活動報告の欄があるので、期間中は報告も頑張ってゆきたいと思っています!11/12の期間終了まで、駆け抜けて参ります。どうぞよろしくお願い致します!!
時々描いていた手書きの漫画イラスト。15年ぶりに行った鍼灸院のレポートをふと思い立って描いてみた記録です。
以前、田舎暮らし的なものを最初に志向した2013年当時の自分の背景について、旧ブログからの発掘リマインド投稿をしていたのですが(https://www.moeama.net/?p=709)、その時の道中写真が出てきたので、二回目の田舎系思い出投稿を。 ここは和歌山の川湯温泉で、この時はまだ車も持ってない京都街中暮らしだったので、アルバイト先の社長殿に和歌山の山奥まで送ってもらうという….本当にその節はありがとうございます!強行手段で田舎へ向かいました。 目的地は、木造校舎で若者の受け入れを行っているNPO共育学舎さんでした。 この頃撮った田舎の風景の写真には新鮮な驚きがたくさん写り込んでいました。 今夜は地域の子ども会の行事で、蛍が舞う川を横に眺めながら満月の月明かりの元、帰ってきました。蛍が舞うような環境で暮らせることはとても贅沢に感じております。 私は街も大好きです。田舎が好きとか暮らしたいとかいうのも、何か現代文明への問題意識のアンサーとしてのActionではなくて、単に、自然がたくさんあって広い空間が好きだからという単純な動機だったりします。あと近所迷惑とか街中ほど気にしなくていいところとか。場所があると可能性も広がるしいいな〜という感じです。 でもやっぱり土がある場所は、植物がいっぱいある場所は、虫が、動物達が、いっぱいいる場所は、命の場所だなとも思います。ものすごいエネルギー。 街は、季節毎にせっせと装飾を変えて彩りを演出し続けているけど、田舎は、いつもいつも景色が変化していて、本当にドラマチックです。春の草が枯れて、夏の草に変わってゆく景色を眺めつつ、花が実を結ぶ様を眺めつつ暮らすこと。やっぱりいいもんだなと思っています。
2013年4月7日に古い方のブログに投稿していた当時の記事のアーカイブ記録です。 街中で暮らしていた私が最初に田舎で暮らそうかなと思ったきっかけについて。 今はひとり親になっているのだけど、当時は夫がサラリーマンでしんどそうなのをどうにかできないものか?と考えていたというのも大きかった…。色々な物事が自分の思うこととは違っていき、結果的に田舎暮らし以外は削ぎ落とされてしまったけれど。でも今もこの思いの土台は私にとって大事なものです。 *** 2013/04/07投稿 いまここ!2013年4月:熊野の共育学舎に来た。のでそこに至る経緯。 最近、色々なことを考えたり感じたりするに当たって、和歌山県の熊野にある共育学舎という場所に来てみた。一週間滞在してみる。 色々なこと、についてざざっと書いておこうと思う。いずれもすごく個人的な気持ち。 @子供:2010年10月生まれ。現在二歳。周囲の世界に好奇心を持ち始めた。 自分の身の回りにあるものにとても興味を持って接している。 道と建物くらいしかない今の京都市内の家とその周辺であまり遊べる場所がない。 学べる場所がない。 今子供が学ぶべきことは、自分の存在の根源、命に近い場所ではないか、と思った。 生き物の気配、食べ物が生まれる場所、自然の木々や植物、その匂い、音、色。 人間が動物として始まった家としての自然に近い場所。 町中にある様々なことやものが「便利」とか「快適」と感じるのは、今二歳の子供がもうちょっと大きくなってからで十分なのではないか。 個人的には10歳前後から、もっと外の広い世界を知っていくことって意義深いんじゃないかとは思っている。その時までにベースになる自分の生活した環境が原風景となって基盤になるんじゃないか。それは、出来るだけ命に近い場所であって欲しいと、ちょっと思っている。 @夫:新卒で就職して大阪で企業勤め。最近いよいよ疲れている様子。 元々、私自身、大学を出て就職して働くというのは「普通の」「大多数の」人が選択する「スタンダードな」大人として生きる生き方なのだといつからか教え込まれてそれに疑問は持たなくなっていた。私は芸術家として活動をしたかったし、経済基盤が怪しいそんな活動をサポートしてくれる環境が夫の固定給という形であるのはありがたかった(実家に頼れるような状況でもなかったので。作家をやっている人は実家の恩恵を受けている人も多い)。 しかしその夫の体調が最近いよいよ良くなさそう。毎日23時帰宅で、不眠や胃痛など分かりやすい体調不良も表立って目立って来た。それなのに仕事を休めないのか休まないのか、辞めないのか辞められないのか、体重はじっくりと下がっていっている。「普通の」選択をしたと思っていた人がこんだけ大変なら、それは普通だったとしてもおかしいと思った。それは明らかにどうにかしなきゃいけない問題だと思った。 @育児:子供は男と女一人ずつ居れば出来る(※生物学的な話)ので、育児も男と女一人ずつ居れば出来るのかと思っていたけど違った。 人間て生まれてみたら社会的な生き物で、それは生まれてみて初めて混沌とした脳に色々な出会いや経験などコミュニケーションを身につけながら総合的に一人の人格が出来上がっていくものなんだなと感じた。 それと、一人の大人が一人の子供を見るより、二人の大人が二人の子供を見た方が楽だということを知った。三人の大人が三人の子供を見るともっと楽になる。子供たちは自分たちで一緒に遊んだり出来るからなのだった、、。 そういった意味で核家族とか、母子二名ペアとかは、子供の成長(たくさんの人との出会いや経験を得ること)にも、大人の時間ややること(一人で一人の子供の相手を延々しなければならない)にも圧倒的に非効率な方式となる。 私の場合、私も夫も九州が地元で、今住んでいる京都には近所に親戚も友人も親もおらず、完全に孤立していた。ちょっと誰かに頼み事をしたくても、みんな自分の用事が忙しいので来てもらえない、そんな環境だった。 そんな環境じゃない人には問題にならないのだとは思うが、私と夫にはその、大人二名のどちらかが倒れたらどちらかに過度な負担がかかるという状況が既に重荷だったし、実際子供の世話などは押し付け合いみたいになりかけることも常だった。子供にも良くないことは明らかだったし焦っていた。 @お金のこと:どうにか経済的に自立したい、と思っていた。けどどんどん現実的じゃなくなった。 芸術を選んだけど、夫はずっと働くことがしんどそうだったし、自分はなるべく早くちゃんと夫が働かなくてもいいように自立出来る様になろう!と思って20代をよく分からないなりにアーティストとして自分なりに歩んでいた。でもそれで少しずつ分かってくるのは、別にアーティストで食べるということは思っていたより分かりやすい道は無いということだった。それすらよく分からずに進んでいたんだから恥ずかしい限りなのだけど。例えば仮に作品がわーっと売れても、翌年同じように売れる保証なんてない、とかそういったことだった。それより何より分かりやすい結果も特に出せなかった。 大量生産大量消費のお金や経済の在り方にも違和感があったし、現行の貨幣経済への問題意識もなんか強くなってきてお金=価値とかお金=人生みたいな暮らしを見直していこうと思えて来た。そして最近いよいよ収入を増やすことより支出を減らすという方向にシフトしていこうかと思った。 @美術作家活動:作品でコミュニケーションをとりたいけど、なんだか実感が持てない 作家として自立したいというのもあったけど、それは勿論、自分の考えや思っていることを作品を通じて人に伝えてそこから生まれるものを通じて人と関わりたかったというのがあったので、色々作品を作ったり展覧会をしたりしてきたけど、露骨に反応がないとか、そういうことも経験して自分の作品が悪いのか、ということやアート業界が狭い、とかいうことについてなんだかそれまで以上にモヤモヤするようになった。 そういったことから、これまで自分なりにここ1〜2年でやってきたこと @moetacu 子供の世話で極端に外出に制限が出たのでストレスが強く、とにかく人に家に来てもらえる環境を作ろうと思ってmoetacuという動きを始めた。色々なテーマで集まりを開催する。これは結構楽しかった。でも家の構造上、誰とも会いたくないという夫にはややストレスを与えていたようにも思う。 @まちづくり関連の場に関わってみる 子育ての在り方とか、自分の関わっているアートの世界をもっと開きたいと思ってまちづくりといわれる分野の場や人たちと関わってみた。結果的には、まちづくりに関わっている人や場はそれが属している限られたエリアが盛り上がることしか目的にしてないみたいで、元々京都で何にも属していないような感覚を持つ自分には違和感があった。目の前で困っている状況があっても、条件が合わなければ無関心、のような、なんだか「まちを盛り上げる」という目的にしか興味なくて、それは決して「人」ではないといった印象もあって残念に思った。 @働き方を考え直す 「ナリワイ」http://nariwai.org/という考えを提唱している伊藤洋志さんに出会って、考え方がとてもしっくりきて、自分も取り入れていきたいと思った。自分の生活も、アルバイトと作品制作はあまりにも分断されていてそれぞれの時間がそれぞれを圧迫していたし、そのことに違和感があった。もっと先に続いて繋がっていく働き方とか仕事のやり方を考えていきたいと思った。 ナリワイというのは、ざっくり言うと小さな仕事をたくさん持つ、という考え方。 そういったことが色々あって、 熊野の共育学舎というところに来た。 ここで自然の中で自給自足に近い暮らしやその環境について触れてみようという次第。 共育学舎のウェブサイト http://kyouiku-gakusya.org/npo/ ***
ここのところの私が何を考えていたかというと、ただひたすらに、如何にして退去日までに荷造りを終わらせるかということ、どこまでギリギリ自炊の食事を続けながら荷造りも無事に終えられるかということ、荷造りや退去、卒園・入学、入居関連のやるべきことをこなしながら、如何に少しでも多く仕事の時間を確保できるかということでした。 そして今日無事に「さよなら」と「こんにちは」ができました。 そして荷造りと引越しを無事完了させる!という今回の目的の先に今後の予定が全然頭に入ってきていなくて、ボヤ〜ッとしています。さてこれから、スケジュール帳を開き、予定を考えていきます。 今日までの荷造りな日々は、1年ちょっと暮らした大分の家での思い出、終わってしまうこども園での毎日について想いを馳せたり感慨に浸ったりすることを意識していたように思われます。 そしていざ、その場を去って、道中の車の中で感じた感覚は、自分は本当に旅人で、何処にも属さない、特に今の自分は何処にも根がない自由の身なんだな、というものでした。それはとても笑いだしたくなるような自由でした。なかなかにして、良い感じの氣分です。 土曜日、一昨日の卒園式は、とても素晴らしい時間でした。これまでの1年を振り返り堪能するに相応しい、あたたかで別れの寂しさを感じる式でした。大分での暮らしで一番の支えになってくれたのは、こども園での保育士の先生方と、同じ保護者の方々でした。色々大変なこともあった中で、本当にたくさんの励ましとエールをくださいました。それで今日までどうにか心を折らずにやってこれたのだと思っています。またこどもたちも毎日暖かく迎え入れてもらい、安心して心身を育むことができた一年だったなぁと思っています。本当に感謝です。 昨日の日曜日からは怒涛の荷造り完了に向け氣持ちも切り替わり、家はどんどん私たちの家からニュートラルな、誰のものでもない空間に変わってゆきました。今思えば、私が自分で考えて飾った絵を外すこと、時計を外すこと、そういったひとつひとつの作業がその場を馴染みのない場所にしていくための意義深い儀式だったように感じています。家から荷物を運び出す時、空っぽになった家を去る時、何の未練もなくスッキリとした氣持ちで旅立てたのは、嬉しかった。 向かう福岡から、今日はレンタカーにて頼もしい2名様が来てくれたことも、本当に本当にありがたかったです。なんていうか本当に、心理的にも。迎えに来てもらったような氣持ちでした。多少なりとも寂しさを感じていた息子も、大いに救っていただけたように感じています。 そして到着後の現地でも、駆けつけてくれた皆様のパワーにより、予定どおり、タイトなスケジュールではあったものの無事に全ての工程を終えることが出来て感謝です。事故やトラブルもなく無事に今日までこれたことのありがたさをきちんとかみしめたいと思います。 みなさま、本当にありがとうございます! 個人的には朝、布団圧縮袋の存在を思い出して買いに行けてよかった….圧縮してなかったら荷物全部入らなかったと思う…ヒヤヒヤ。2tトラックにギリギリでした〜荷物….思ってたより多かった。。 さて、そういうわけで、頭の中が空っぽで、何も考えきれていないのですが、また明日から、現実的に考えてヤベェみたいなことが家の中で続々出てくるような氣がしています。目の前の風景から、頭の中スイッチを押してもらいつつ、存分に、新生活をエンジョイしていきたいと思います! 今日まで様々なかたちで関わってくれた皆様、またオンラインを通じて応援してくれた皆様に改めまして感謝申し上げます!今後とも、新生天野百恵をどうぞよろしくお願い致します(^^)
「うっ…今日は傷が疼くぜ…」みたいな..ハリーポッターの額の傷はすごいエピソードが!みたいな….何故少年少女の触れる世界観には”傷”がかっこよく描かれたりするのでしょうか。そして何故、実際それに憧れたりなんてしてしまうのでしょうか….かつての私に、その憧れ、要らんよと言いたい、虫歯の話です。 私は、そうガッツリと傷への憧れを抱いていた子どもでした(少女っぽさ無い..)。 額に出来たかさぶたを敢えて何度も自ら破り「怪我の紋章を作る」(?)と意気込んでいたあの頃は、幼稚園か小学校低学年の記憶です。何か傷が、特別なものに思えていた。自分を特別なものにしてくれるようなかっこいいものだと。 それから時が流れ、高校生になった私は、それまでの期間に憧れを募らせてきていた傷への想いをついに虫歯を抱える!という形で実現してしまうことになるのであります。 「虫歯がいてぇ〜」 「麻酔した」 「神経抜く」 そんな言葉を発するクラスメイトたちを、小中学校時代から、なんだかすごくかっこよく感じていた自分がいたのだと思います。なんか、大人っぽいというか。痛みを知る、みたいな。 そこで私は自分も虫歯を経験しようと歯磨きを敢えてスルーする取り組みを敢行。見事虫歯になるも、神経に到達せず治療も痛く無いしすぐ終わる。ヌルい!!と思った私は新たに麻酔を経験しようと立派な虫歯を作り込みました。 麻酔治療も無事経験し、闘いを乗り越えて、傷を作り、強くなった私….. バカーーッ!!!歯は大事にしなさいバカーーーッッ!! って今、思います。 大人になってみれば、いつのまにやら望まずともどこもかしこも傷だらけ(・ω・) 社会に出て、おのずとゴリゴリ磨かれる過程でいくらでも、そんな、かっこいい?ものは得られるのですね。 先日、この、強大な銀歯が取れまして。 元々鏡で(なんでこんなにごつい銀歯作ってんの私…怖..)とか思ってたのですが、改めて取れてみて、虫歯の深さにドン引きでした。 しかも銀歯のしたも虫歯になっていて(削るとなりやすくなるのよ〜)、次の治療では神経を抜くことになるだろうということに。神経を抜くと歯は死んでしまいます。抜歯への階段を一歩下ることになります。 8020運動を思わず検索…..。 これからは精一杯、歯を大切に生きてゆこうと思うわたくしでした。 そしてこの傷ものの歯を見るたびに、バカーーッって思うのであります。
大分県竹田市に住んでいた1年ちょっとくらいの期間は、比較的近くに年間会員制度がある源泉掛け流しの温泉があったので毎日通っていました。今思い返しても最高でした…..。やっぱりお風呂が一番あったまる!この期間は元々持ってた冷え性にもあまり悩まされた記憶が無いのであります。 温泉という良さも勿論なのですが、こういったお風呂施設の良いところは水風呂があったりして単にお湯に浸かってイエ〜イというだけではないところ。身体をガンガンに癒しにいきます。色々としんどいことがあっても、温泉に浸かれば氣持ちがリセットされていく…というのも素晴らしかった。 年間会員制度があったからこそ気軽に通えたので、今後もそんな温泉の近くに住みたい〜と思うわたくしです。とはいえ温泉通いの夢を叶えたという事実が出来たから、もうそれで良いのか….とか、いやいや…やっぱり毎日…少しでもたくさん、広い温泉に通える人生が良いなぁと思いますね。