「正しい私/いい子」で在りたい望みが弱さから来るのなら

(人から気に入られたい..)という動機で言葉を紡ぐ自分はほぼ無自覚に動いているけれども、自覚してしまうと浅ましく格好の悪い自分だなと思ってしまう。飢えているのかな、と。承認欲求の暴走。

同じように無意識の中で、(正しい自分で在りたい!)という思いや(「いい子」で在りたい!)と思っていた子ども時代から今までの自分というのは、本当に驚くけれど、最近やっとその存在に気が付いてきた。

他者から非難されることへの恐れがものすごくあったのだろうと思う。

可能な限り誰から見ても「正しく」在ることが、そのリスクを最低レベルまで下げる効率の良い手段になる。「いい子」であることも、最高のリスクヘッジ。ヤンチャは親や周囲の大人が許してくれる範囲でやるのが好ましい。私は無意識の中でそれを巧妙に選択して生きて来たし、そこから外れることに対して自分を許して来なかった。それは恐れに基づいた行動原理で、私の心はとても窮屈であっただろうと思う。そしてどこかそんな、自分は絶対に手を汚さすに、清廉潔白で無難な立場を選び続けることを守ろうと頑なになっている自分への違和感もずっとあったようには思う。(長女っぽいなとか思う)

そこまで努力して、恐れから自分を守ろうとしてきた私の中で生じた歪みはそこそこの存在感を放っていたとも自覚する。

まず、清廉潔白で無難な立場をひたすら守ろうとする自分への違和感に耐えかねて、やはりリスクを犯してでももっとあるがままに生きたいという思いは抑えきれなくなった。そこにもはや理屈は無く、それまで押さえ込んでいたタガが変な形で崩壊したというだけのことだったのかもしれない。ただのアホやとも言える。

非難を避けたいという恐れは長年私を弱くして常に怯えさせていた。ちょっとした否定ですぐに自分が全否定されたかのように落ち込み、なかなかそこから立ち直れない自分を作っていた。あらゆる物事に対して常に自己弁護をしたい自分がいた。

「いい子」で「正しく」ある為に、ネガティブな感情、憎しみ、恨み、怒り、嫌悪感を否定してきた。結果、そのようなものが湧き上がる己の一側面を抑圧して、無いものにしたし、それを想起させる存在を封じ込めようと躍起になっていた。が、やはりどうしても滲み出てきて、そこのコントロールが上手くできなかった。
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これらはただの内省趣味なのだけど、何がきっかけでこんなことを考え始めるのかということについても少し。今回は、棘のある言葉を発してしまう自分を自覚して、その原因を掘り下げていって出会った領域だった。自分の中に抑圧された憎しみや怒りのようなものが、棘になって出てきて、それをコントロール出来ていないのだなぁという発見。どういう時に棘が出てしまうのか、という部分に、抑圧がある。
個人的な体験が元になっていることがほとんどなので、感情を探りながら確かめてゆく。

私の刺々しさに触れたことがある一部の人からは「お前ほんまそれやで」的なため息が聞こえてくるようでもあるが、自覚というのはなかなか、他者から指摘されたからといってホイホイと進むものでもない難しさよ。

幼年期までの期間の出来事で父親に対する恨みのような感情を封じ込めてきたことを自覚しつつある。それと、私はある特定の人に対して妙に見下したような態度を取ることがある。この特定の条件についてはまだ掘り下げ中。

しかし実際のところこんな抽象的な領域はホログラムで、常につかみどころがなく、角度を変えれば紡がれる言葉も全く違うものになる。数ヶ月後には全く違う言葉で同じことを認識していたり、同じ言葉で違う意味を認識していたりもするのだろうと思う。まぁ世の中のあらゆることは、そういうものなのかもしれないけれど。

2016年はご友人つながりでヒプノセラピーというものを初体験した。要は無意識の中の自分との対話みたいなもの。日頃ボーッとしている時などは無意識だったりする、そんな領域にアクセスしてみるというものだった。日頃からこんな感じで内省趣味のある私とは相性が良くてパワフルな学びがあったと感じている。しかし同時に、抑圧している領域は、簡単にはアクセス出来なさそうだなということも少し感じました。

ヒプノのセッションを受けるとなんでもすぐに無意識が抱えた問題?を解決できるかといえばきっとそうでも無いのだろうと思って、だから結局日常の中でなるべく、自らアクセスする癖を付けておくこと。その中で出来れば苦しみ・苦しませの元になっている抑圧があるのなら、解放していくこと、そんなことを意識している。日々の筋トレのようなものとして。

嫌悪感や憎しみ、恨みを飼い慣らさなければ、暴走してしまう危険性を常に孕んでいるなぁと思う。私は戦争ってそこから始まると思っているし(人の心に巣食う抑圧されがちな感情なのだ)、世界平和は自分から、心の平穏を求めてゆきたいなぁと思っている。