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マインドフルネスの練習。WEEK3「つなぎ言葉に注意する」

「今、ここ」に意識を集中する練習 心を強くやわらかくする 「マインドフルネス」入門 という本を買いまして始まりましたマインドフルネス練習。今回は3週目。「つなぎ言葉に注意する」です。 「あー」とか「なんか」とか「というか」など、特に意味のない言葉のことらしい。これは私結構使ってしまっている自覚がある。意識して気をつけてみます。。あまり人と喋る機会無いけど、ネットでの文章アウトプットでも!   マインフルネス練習シリーズは、カテゴリ「Mindfulness」で見れるようにまとめてゆきます。  

マインドフルネスの練習。WEEK2「痕跡を残さない暮らし」

「今、ここ」に意識を集中する練習 心を強くやわらかくする 「マインドフルネス」入門 という本を買いまして始まりましたマインドフルネス練習。今回は2週目。 一週間の区切りは結構適当に、回していこうと思います。 画像にもあるように 今回は「痕跡を残さない暮らし」です。 これは….読んでみて思ったのは、比較的意識してることも多いというか、マインドフルネスではなくてハウスキープ的にも自分の生き方としても、考えてることに近いので、やりやすい感じ。とはいえ自分がそれまで意識していなかった気づきもあるような気もしています。わくわく。 なんとなくやり終えた頃にまた感想を追記します。 感想:一時期特に熱心に取り組んでたことでもあるので、やってみた感想としてもまぁ理想だよね〜となりました。。しかし、現在はやらないといけないことが常に山積みな気分で余裕が無い状態が多いので、こういうことにもなかなか気が回らないし、その現状と理想の板挟みよ〜、という気分。 むしろ日頃、元に戻すに+aで綺麗にする、という心がけが理想なんだけど、やー追いつかない追いつかない。。古民家、土埃たくさんだったり小さい蜘蛛の巣があちこちにできたり、床にも蜘蛛のフンと思われるシミが毎日発生するので、それらを全て見つける度に綺麗にしたいのだけど、なかなかできていない。 今回はマインドフルネスが遠いジレンマを感じる取り組みでした。今後も意識してみながらジレンマと向き合います。 マインフルネス練習シリーズは、カテゴリ「Mindfulness」で見れるようにまとめてゆきます。  

次世代必須教養、愛着….!「マンガでわかる愛着障害」

「マンガでわかる愛着障害」を読みました。比較的身近なテーマだと分かっていたけど、初。 この分野、次の時代は必須教養と感じる…。私の場合は身近に思い当たる面々も多々….。 読みやすい漫画とディープなコラム解説のバランスがすごい。 中身は、漫画ということもあり、サラッと書いてあってすごくとっつきやすい。そして対照的に、漫画の合間にあるコラムの内容がディープ。でもすごい読み応えあり。漫画の取っ付きやすさとディープなコラムの往復運動….すごいバランス感覚です。 診断テストのクオリティがすごい。 愛着スタイルは「安定型」と「不安定型」(「不安型」と「回避型」)のざっくり三種類があるという考えが軸で3項目の数値の診断が巻末に。 そして自分も診断テストやってみたら見事に絶妙な数字。これは本を読みながら感じた自分の場合の実感と、かなり近い結果。すごい!!感動。 具体的には、私は安定スコアが1番多かったものの「強い」判定には一歩足りない数値。そして不安定と回避が同じ数値で、「無視し難い要素と言える」と書いてある結果に〜〜! 本によると、不安定と回避が同じくらい強いと新たな「恐れ・回避型」というタイプに進化!(?) 人と距離を取りたいのか親密になりたいのか、ごちゃ混ぜチャンプルー。 自覚として分かる….! ギリ表向きは問題のないところで生きてる感じ。自覚が相当進みます。この感覚、とても良い。 あの人の謎もどんどん腑に落ちる。 他にも「あの人このタイプだな〜、だからあんな感じだったのか!」と色々な過去の経験が腑に落ちまくるというすごい特典も。どんどん理解が深まりました。あの時知ってたらもう少し寛容な気持ちでいられたかもなぁ、と思うこと多々。 相互理解を深めるのに役立つ、とは読んでみて初めて気がつく視点でした。そういった意味でもやっぱりこの知識は有用ですねぇ…。 愛着の悲喜こもごも。 本には障害を克服していく考え方も簡単にいくつか紹介されています。でも愛着の課題はやはり人との関係性で癒やすしかないのが難しい部分。対象が人間ということは、相手には相手の課題がある場合も多々….。スムーズに必要とするものの交換が出来なかったりするのは、あるあるだと思いますねぇ。 精神的なしんどさ、生きづらさの背景に愛着障害の存在は結構大きいと改めて思いました。 人間誰しも完璧じゃないから、極端な虐待や離別が無くても、ふとした時に傷ついたりしてしまう。 本にもかなり多くの人が大なり小なり抱えている(大人の1/3、カップルや夫婦だと50%、3人いると70%)という風に書いてありました。これも体感としてすごーくわかる。更に私のようなギリやれてる人を含めると、本当に、誰しも多かれ少なかれ色々あるよね、と感じます。 「障害」というと大げなな印象だけど、大なり小なり多くの人が抱えている愛着のスタイルはあって、それが大きな問題として日常に支障を来す時に「障害」として切り取られる、というのも大事な視点かも。 私も極端に支障をきたしてはいないけど、今後より楽に生きられるように、自分の傷を癒していくぞ〜と思いました。より良く生きていくために、知ることで活かせる知識があるんだなぁ。 愛着の未来について思うこと。 一般的に乳幼児期の愛着形成は理解が広がって来ていると感じるけど、その後の成長で出会う人間関係ももっと研究が進むといいなぁとも思いました。 人と人とが信じあい助け合い支え合える心の土台、愛着….。 他の本なども読んでみて、自分なりの学びを深めたいなぁと思いました。こちらの本は入り口として最適!!   いやーおすすめです。     余談:絵や表現、芸術の力 本の中で、絵や文章などで表現すること、芸術の持つ人の心への意味について書かれていたのも、個人的には嬉しかったです。アート表現は普段は道楽のような感じであまり重要視されない印象なのだけど、行う当人にとって、すごく重要な意味を持つことがある話はとても説得力がありました。そしてそれが社会にとっても意義深い存在になるということも。 障害を苦しみの元として捉えるのではなく、何かしらの情熱に昇華していけるという希望は重要な視点だなと思っています。 アートの価値、セラピー的な視点も、もっとこの先の時代に定着していくといいなと思いました。

マインドフルネスの練習を始めます。WEEK1「利き手じゃない方の手を使う」

「今、ここ」に意識を集中する練習 心を強くやわらかくする 「マインドフルネス」入門 という本を買いました。マインドフルネスは何年も前から気になっていたものの、ちゃんとした形で本を読もうとするのは今回が初めて。まさしく入門。 数年前から気になっていた本を今更購入してみたのですが、マインドフルネス実践のエクササイズが53個、ひとつ1weekで約1年修行できる本でした。す、すごい。 ブログに書いてもいいかもね、と本に書いてあったので、取り組み記録を書いていこうと思います。 53のエクササイズは、順番は自由らしいです。が、ひとまず1から。 「利き手じゃない方の手を使う」です。ひとまず1週間やってみようかな。すぐ忘れそう。そしてこの、すぐ忘れそう、というのが結局実践の1番難しいところみたいに本に書いてました笑 忘れないように工夫してみます〜。1週間経ったら、感想を追記します。 マインドフルネスに、おれはなる!! 経過メモ:イライラするのでやってられん!と思ったけど、「気づき」の部分を読んだら反省….。 確かに〜わかる感じがした。残りの期間ももう少し、考えてみようと思う。 ひとまずの感想。 結構、イライラした….苦笑 ここぞという時にのみ、利き手を使っていて、それって大抵「早く確実に」したい時ばかりなので、それを敢えて放棄するのは勇気が必要というか、ちょうど結構立て込んでるので、やっぱイライラした。最終的なまとめにあった、初心を忘れない、といった感覚は、確かに最初の時にチラッと感じた。 子どもが上手く手を動かせなくて不器用なことも、自分で不慣れな手を使ってみれば体験として理解できる。とはいえなかなかせっかちな自分を発見する機会となった…。 今後も意識的に、取り入れながら、イライラを見つめつつ気づきを得ていけるといいなぁ。 マインフルネス練習シリーズは、カテゴリ「Mindfulness」で見れるようにまとめてゆきます。    

「秋の種2019」の記録集が届きました!

去年2019年の11月に福岡市内各所で開催された展覧会企画「秋の種2019 -花の歌が聴こえる時代に-」の記録集が届きました! 展覧会の展示風景写真もたくさん! 企画に携わった方々からのオリジナルの寄稿もたくさん読めます! 読み物としても素晴らしい貴重な記録集になっていて、大変ありがたい品物!販売も今後検討中とのことです。1,400円と書いてありました。   2019年の晩秋、まだ新型コロナウィルスの存在は全く知られていなくて、とはいえ変化していく時代に自分達がどう立ち会っていくかをそれぞれが考えながら模索していくような展覧会だったと感じています。 あの時と半年以上の時間が過ぎた今を比べて、変わったもの、変わらないもの、色々あると思う中で、今敢えて自分自身は、変わらない普遍的なものについてより強く意識する機会をいただいていると感じています。 生きること、前に進むこと、表現すること。 時代や時間の流れはいつも私たちにとっては不確実なものであること。 そういったことを改めて感じながら、また次の時間を生きていく楽しさを味わっていきたいと思っています。 記録集作成に関わっていただいたみなさま、素晴らしい冊子をありがとうございました。 また今後もご縁があることを楽しみにしております。

『子どもたちの遺言』という写真と詩の本を買いました。

以前偶然見かけて読んでから、ずっと忘れられずにいた本『子どもたちの遺言』をやっと買いました。とても良い。 タイトル見るとギョッとする。子どもたちの遺言って、ただ事じゃないのでは。 これは谷川俊太郎さんによる詩と田淵章三さんによる写真で構成された本。赤ちゃんの誕生シーンから始まる。生まれだばかりの赤ちゃんは、言葉を喋らないけど、読んでいるとなるほどと感じる言葉たち。   本のページが進むにつれて、子どもの年齢は上がっていく。最後は20歳で終わる(”子ども”の終わりというわけね〜)。その時々の年齢の子どもたちが見ている世界、感性が映し出される感覚。子ども本人の言葉ではないのに、胸に迫るリアリティがある。 あの頃子どもだった頃の自分、親として子どもを見つめる自分、その両方の視線が交錯するような感覚。   この連載企画は、元々は、谷川俊太郎さんが子どもたちに向かって遺言を書くという内容だったとのことだけど、谷川俊太郎さんの想いで、逆に子どもから大人に遺言してもらう発想に逆転させたと書いてあった。   私自身がなるほどと思ったのは、子ども達って、消えていく存在なんだよなぁということ。その変化の速度はものすごい。0歳と3歳じゃ見ているものも考えていることも違うのはよく分かる。そして10歳と17歳も。 この消えていくその時々の瑞々しい感性を、切り取ってもらえたような気がして心が揺さぶられたのだと思う。 自分自身についてもそうなんだけど、あの時の感覚、忘れてしまうんだよなぁ。大人の都合やそこから見える世界だけで物事を捉えるのを当たり前にしたくない。あの頃あの時の自分や、今もリアルタイムで、大人になった私が忘れてしまった世界に生きている子どもたちの世界と言葉に耳を傾ける態度を持っていたい。 そんなことに気づかされる本でした。大人におすすめ!笑 いろんな人と感想をシェアしてみたいな。  

「住み開き 増補版」(ちくま文庫)にくるくるハイツが登場しています。

この度、私の京都在住時代(~2014)からのご友人であるアサダワタルさんの著書「住み開き」が増補版として文庫化されることになり、その増補部分に、私の活動である「くるくるハイツ」も登場しております。   目次はこちら。3番目がくるくるハイツ。   中身はこんな感じ。ぜひお手に取って読んでみてくださいませませ。   そして、雑誌のAERA 2020/04/27号に、こちらの書評が載っているとのこと。評者は森永卓郎さん。住み開きという活動のアート性、表現という側面についての言及みたいで、私の活動についての社会的な側面とアート的な側面が繋がっていく可能性を感じる雰囲気であります。 以下、一部引用 「私なりに総括すると、そこで行われているのは、アーティスト活動なのだと思う。アートというと、絵画とか音楽とか陶芸のようなものを思い浮かべてしまいがちだが、私の言うアートの範囲は、もっと広い。住み開きをすると、必ずそこにコミュニティが生まれる。そこで、自分がどのような表現者となるのかというのが、その人のアートなのだ。アート作りは、生みの苦しみもあるが、何より楽しい。だから多くの人が住み開きに挑む。」 ※写真や引用部分などアサダワタルさんのFacebook投稿からお借りしました。私もAERA注文中….。 https://www.facebook.com/photo.php?fbid=3169629679736711&set=a.453081918058181&type=3&theater AERAもぜひぜひ。

『The Sense of Wonder』について

レイチェル・カーソンの「The Sense of Wonder」が大好き レイチェル・カーソンの「The Sense of Wonder」の中に出てくる印象的な言葉があります。 「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。 多くの親が子どもの熱心で繊細な好奇心にふれる時に、自分が自然界のことについてなにも知らないことに気がつき、頭をなやませる、といったことについてのレイチェル・カーソンの考えとして書かれています。 地球の美しさと神秘さを感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう。たとえ生活のなかで苦しみや心配ごとにであったとしても、かならずや、内面的な満足感と、生きていることへの新たなよろこびへ通づる小道を見つけだすことができると信じます。 わたしが幼少期に育った場所は、今暮らし始めた糸島での環境と同じように豊かな田園風景に囲まれたところでした。毎日暗くなるまで外で遊んだあの頃の気持ちを今も懐かしく覚えています。 10代だったわたしは「空がきれいだね」と言って「きれいだね」と応えてくれる友の存在をとても嬉しく思っていました。そして今も「これ、おいしいね」と言って「おいしいね」と応えてくれる人との関わりにとても胸が踊ります。そしてわたしはその、氣持ちが通じ合う瞬間をうつくしい、と思い、そのなかにこそ、瑞々しい、生きるよろこびが宿っているように感じています。 20代で制作をしてきた美術作品では、目に見えない人の感情やエネルギーのようなものがテーマになっていました。それは生き物というかたちの現れにつながり、見えない力が形を成すことへの関心と、アニミズム信仰への興味につながりました。 哲学や東洋・西洋の古来からの宇宙観、陰陽五行や占星術などへの関心も、この世界に向けた純粋な好奇心で、わたしにとっては宇宙科学や天文学と同じように、神秘とロマンを感じさせる大好きな領域です。 時々、現代生活はどこか生きることのよろこびを忘れがちになっていないだろうかと思うことがあります。 わたしはきっと、目の前に開く花のうつくしさや鳥の声を感じるよろこびを、もっともっと誰かに伝えたいのだと思っています。 わたしが、自分自身のアート分野や暮らしのなかで表現することと「The Sense of Wonder」への想いや感性はひとつにつながっていると感じています。子育てをする大人、みずみずしい感性についてもう一度見つめたい時などに深く染み入る美しい短編の物語です。