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マインドフルネスの練習。WEEK2「痕跡を残さない暮らし」

「今、ここ」に意識を集中する練習 心を強くやわらかくする 「マインドフルネス」入門 という本を買いまして始まりましたマインドフルネス練習。今回は2週目。 一週間の区切りは結構適当に、回していこうと思います。 画像にもあるように 今回は「痕跡を残さない暮らし」です。 これは….読んでみて思ったのは、比較的意識してることも多いというか、マインドフルネスではなくてハウスキープ的にも自分の生き方としても、考えてることに近いので、やりやすい感じ。とはいえ自分がそれまで意識していなかった気づきもあるような気もしています。わくわく。 なんとなくやり終えた頃にまた感想を追記します。 感想:一時期特に熱心に取り組んでたことでもあるので、やってみた感想としてもまぁ理想だよね〜となりました。。しかし、現在はやらないといけないことが常に山積みな気分で余裕が無い状態が多いので、こういうことにもなかなか気が回らないし、その現状と理想の板挟みよ〜、という気分。 むしろ日頃、元に戻すに+aで綺麗にする、という心がけが理想なんだけど、やー追いつかない追いつかない。。古民家、土埃たくさんだったり小さい蜘蛛の巣があちこちにできたり、床にも蜘蛛のフンと思われるシミが毎日発生するので、それらを全て見つける度に綺麗にしたいのだけど、なかなかできていない。 今回はマインドフルネスが遠いジレンマを感じる取り組みでした。今後も意識してみながらジレンマと向き合います。 マインフルネス練習シリーズは、カテゴリ「Mindfulness」で見れるようにまとめてゆきます。  

次世代必須教養、愛着….!「マンガでわかる愛着障害」

「マンガでわかる愛着障害」を読みました。比較的身近なテーマだと分かっていたけど、初。 この分野、次の時代は必須教養と感じる…。私の場合は身近に思い当たる面々も多々….。 読みやすい漫画とディープなコラム解説のバランスがすごい。 中身は、漫画ということもあり、サラッと書いてあってすごくとっつきやすい。そして対照的に、漫画の合間にあるコラムの内容がディープ。でもすごい読み応えあり。漫画の取っ付きやすさとディープなコラムの往復運動….すごいバランス感覚です。 診断テストのクオリティがすごい。 愛着スタイルは「安定型」と「不安定型」(「不安型」と「回避型」)のざっくり三種類があるという考えが軸で3項目の数値の診断が巻末に。 そして自分も診断テストやってみたら見事に絶妙な数字。これは本を読みながら感じた自分の場合の実感と、かなり近い結果。すごい!!感動。 具体的には、私は安定スコアが1番多かったものの「強い」判定には一歩足りない数値。そして不安定と回避が同じ数値で、「無視し難い要素と言える」と書いてある結果に〜〜! 本によると、不安定と回避が同じくらい強いと新たな「恐れ・回避型」というタイプに進化!(?) 人と距離を取りたいのか親密になりたいのか、ごちゃ混ぜチャンプルー。 自覚として分かる….! ギリ表向きは問題のないところで生きてる感じ。自覚が相当進みます。この感覚、とても良い。 あの人の謎もどんどん腑に落ちる。 他にも「あの人このタイプだな〜、だからあんな感じだったのか!」と色々な過去の経験が腑に落ちまくるというすごい特典も。どんどん理解が深まりました。あの時知ってたらもう少し寛容な気持ちでいられたかもなぁ、と思うこと多々。 相互理解を深めるのに役立つ、とは読んでみて初めて気がつく視点でした。そういった意味でもやっぱりこの知識は有用ですねぇ…。 愛着の悲喜こもごも。 本には障害を克服していく考え方も簡単にいくつか紹介されています。でも愛着の課題はやはり人との関係性で癒やすしかないのが難しい部分。対象が人間ということは、相手には相手の課題がある場合も多々….。スムーズに必要とするものの交換が出来なかったりするのは、あるあるだと思いますねぇ。 精神的なしんどさ、生きづらさの背景に愛着障害の存在は結構大きいと改めて思いました。 人間誰しも完璧じゃないから、極端な虐待や離別が無くても、ふとした時に傷ついたりしてしまう。 本にもかなり多くの人が大なり小なり抱えている(大人の1/3、カップルや夫婦だと50%、3人いると70%)という風に書いてありました。これも体感としてすごーくわかる。更に私のようなギリやれてる人を含めると、本当に、誰しも多かれ少なかれ色々あるよね、と感じます。 「障害」というと大げなな印象だけど、大なり小なり多くの人が抱えている愛着のスタイルはあって、それが大きな問題として日常に支障を来す時に「障害」として切り取られる、というのも大事な視点かも。 私も極端に支障をきたしてはいないけど、今後より楽に生きられるように、自分の傷を癒していくぞ〜と思いました。より良く生きていくために、知ることで活かせる知識があるんだなぁ。 愛着の未来について思うこと。 一般的に乳幼児期の愛着形成は理解が広がって来ていると感じるけど、その後の成長で出会う人間関係ももっと研究が進むといいなぁとも思いました。 人と人とが信じあい助け合い支え合える心の土台、愛着….。 他の本なども読んでみて、自分なりの学びを深めたいなぁと思いました。こちらの本は入り口として最適!!   いやーおすすめです。     余談:絵や表現、芸術の力 本の中で、絵や文章などで表現すること、芸術の持つ人の心への意味について書かれていたのも、個人的には嬉しかったです。アート表現は普段は道楽のような感じであまり重要視されない印象なのだけど、行う当人にとって、すごく重要な意味を持つことがある話はとても説得力がありました。そしてそれが社会にとっても意義深い存在になるということも。 障害を苦しみの元として捉えるのではなく、何かしらの情熱に昇華していけるという希望は重要な視点だなと思っています。 アートの価値、セラピー的な視点も、もっとこの先の時代に定着していくといいなと思いました。

先に進むことについて。

自分の願いを自分で押し殺してはダメだ。消耗戦にしかならない。情熱や欲望の波が激しい時も苦しさの嵐が吹き荒れる時も、静かに心の底から湧いてくる願いに耳を澄ませて、汲み取って大事にして。自分を愛してやれるのはまず自分しかいないんだから。堂々と自信持って、その願いに忠実に生きるんだ。 誰かや何かを好きだと思うその先に進もう。己の未来を切り開き、創造していける関係を模索することを忘れないで。

情熱への感化について

2018年9月18日の言葉。 結果を出してる人の言葉は圧倒的に強い。迷いもなく、真っ直ぐ貫く光のように澄んでいる。そういう言葉を聞く度に己の矮小さを思い知る。何かを願いながら望みながらそれを掴み取れないのは、ブレーキをかけているのは、他でもない自分自身なのだと思い知る。 卑屈さはどのようにして人間を蝕むのだろう。諦めや言い訳はどのようにして隣人のようになっていくのだろう。そのような経験無しに生きている人は居ないと思う。けれどそれでも尚くじけず、瞳を輝かせ汗を流しながら歩む誰かとの出会いがある。その輝きはいつも私の魂を震わせる。 後ろ暗い気持ちを持ちながら生きている人とばかり居ても己の魂も濁ってゆくだけではないかと思ったりする。ギラギラに磨き上げる情熱に感化され浮かされた熱意のままに生きてゆきたい。上手くいかないことも笑い、その経験を大きな糧とするような人生を創造したい。

いばや通信の坂爪圭吾さんが我が家に来てくれた時のこと

先日「いばや通信」( http://ibaya.hatenablog.com/ )というブログの坂爪圭吾さんが、福岡に来ているということで、我が家にもぜひ!と連絡してくるくるハイツに来ていただきました。昼くらいにたまたま「いばや通信」を読んでいたら福岡行きのことが最新記事で書いてあったのでその場で連絡し、その夕方にはお会いできるという急な展開で、何もイベント的なものには出来なかったけど、とても貴重な時間になりました。(坂爪さん、その節はありがとうございました!)   私は家にくるくるハイツという名前をつけて、今年の春から何やかんやと活用していこうと試行錯誤中なのだけど、坂爪さんは「ごちゃまぜの家」という名前で今年活動を始めて、クラウドファンディングも盛り上がっていて、私はそれがとても気になっていたのでした。 【クラウドファンディングを公開しました!】 昔から「家族とはなんぞ??」という思いがありました。多分、私は『ごちゃまぜの家族』をつくりたいのだと思います。 ごちゃまぜの家をつくりたい! – CAMPFIRE(キャンプファイヤー) https://t.co/Syybr2HkPA — 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2017年4月3日 それはくるくるハイツもごちゃまぜの家のような要素を組み込んで行けるのでは?と思っていたというものでありました。他にも、坂爪さんの想いに共感する人たちともっと出会ってみたいという想いや、giveの心でどこまで人と人は回っていけるのかという実践を、私も少しでもやってみたいという気持ちもありました。 そういったわけで、そのようなことは事前に坂爪さんにもメールでお伝えしたりしていたのだけど、家自体はまず見てもらっておいたほうが良いなぁと思っていたので、今回はラッキーなタイミングとなりました。感謝! で、実際に「くるくるハイツ」が「ごちゃまぜの家」的にどう動かしていけるかという部分は、まだ全然具体的には追いついてないのですが(私は想いは常に前のめりだけど肉体と時間の制約が追いついてこない)、今後じわじわと、家のハード面も整えながら練っていけるといいなと思っています。家に来ていただいた時の坂爪さんの反応も良い感じだったので、個人的にはとてもホッとしました(笑)     坂爪さんとの時間は、色々な気づきが盛り盛りで、言葉にするのが難しいのだけど、がんばって書いてみます。 とりあえず、私は、なんか色々矮小な自分をいっぱい自覚しました。「坂爪さんに気に入られたい」とか思ってる自分とか….。他にも、彼は日頃ブログで膨大な情報量のメッセージを発信しているのだけど、そういう何か有難い真実めいたものを私にダイレクトに授けてはくれないか…といった浅はかな期待とか….(苦笑)彼に評価されたい、とか…。そういうちょっとした安っぽい感情が湧いて来ては、それを自覚し、自分でウワァ〜( ꒪⌓꒪;)となって、それを慌てて誤魔化そうとする、みたいな葛藤がずっと続いていたようにも感じています。自分の自信の無さみたいなのって、なんでこう湧いて来るのだろう。 坂爪さんは、そういう丸裸の自分自身を写し出す鏡のような人なのかもしれないと、じわじわと感じました。私は彼が持っているものや見ている世界、膨大なメッセージに興味があって、何かを欲して、彼に求めたり手を伸ばしたり覗き込むような気持ちになったのだけど、坂爪さんは深い深い透明な湖で、そこに写っていたのは、自分自身だった、みたいな衝撃を味わい、ちょっとゴクリとしました。それはきっと、答えは全て自分の中にある、という意味だったのかもしれない、と今は思います。   坂爪さんとの時間はとても簡単な言葉で語れないような深淵の入り口味がした。ものすごく深い湖の中を覗き込むのだけど、それは鏡で、圧倒的に自分が映し出されるみたいな。音で言うなら聞こえないくらい低いところを波打つハートビート。この感覚はすごく大事にしたい。 — moe amano 天野百恵 (@moeama) 2017年9月13日   彼とは、本当の自分、本当の気持ちについての話などをしました。それが本当かどうかっていうのは、簡単なような難しいような、結局、自分自身がどういう姿勢で生きようとしてるか、自分自身や周囲に対してどれだけ誠実であろうとするか、みたいなことなのかもしれないと思いました。 坂爪さんはお花を人にあげる活動をしていて、カッコよかったです。私はなんか照れてうまく受け取れなかったような感じがあり、それについてもウワァ自分ダセェ( ꒪⌓꒪;)と思いました。素直に感情を出して喜べる人憧れます…どうもぎこちないわたし。しかし私も花を贈るというのは本当に素敵で、どうにか私も取り入れてゆきたいと思いました。….そう、それもまだ全然できてないなぁ。   坂爪さんが我が家に来た時は、23歳の友達も我が家に滞在をしていて、その子と三人でゆっくりした時間を過ごしました(ふたりは深夜にとんこつラーメンを作って食べたり… 良い時間だった)。子どもたちも二人とも、短かったけど柔らかい時間を過ごせたなぁと感じていて、本当によい時間でした。 他にも、自分が人に何かをしてあげたいと思う心とか、そういうものが妙に湧いて自分で驚いたり(坂爪さんのいばや通信には随分いろんなものをもらっていると思っていたからなのかな?と思ったり)新鮮な気づきがいっぱいありました。   坂爪さんとお会いできたことで、いばや通信を読む時に、彼の人間としての人物が頭の中にしっかり浮かぶようになったことは、個人的に小さいけれどとても嬉しい変化でした。 人と会うこと、その意義は簡単な言葉で語れないなぁと思うけど、時空を超えるインターネットというツールを支えるのはいつもリアルな感覚なのだと、改めて感じています。   ああ、なんだかやっぱり全然うまく言葉を紡げた感じがないけど、とにかく、 人生は続く!!

体調崩しすぎワロタ状態でしたー

6月の後半から風邪になって中耳炎も発症して風邪こじらせてたら、何故か腰痛が再発して激烈に悪化してまともに動けなくなり、7月の前半が終わって行きつつある今日この頃です。ご友人の整骨院にここぞとばかりに通いまくり、また新たにご友人になった整体師さんにも来ていただいたりして、もう腰痛退散祭りをしていた感じでありますが、まだまだ全快とはいかず、とはいえ少しずつ元通りに近いようなところまで戻って来ました。今回の体調崩しでも色々な方にお世話になりました…。 ひとまず、体があまりにも動かないので、風邪と中耳炎が治って来た辺りからはなんとなく内省の日々….内省って特に目立って何も変化が無いのでアレなんですが、なんとなく、心の中の落ち着きみたいなものは久しぶりに取り戻しつつあるようにも思っています。。引越し後4ヶ月にして…..。 5月はせっせとちらしペーパーを作っていて、6月は人の出入りがグッと増えて、7月は、いよいよくるくるハイツもクラウドファンディングに向けて動き始めつつあるところです。こんだけブログ書いといてアレなんですが、なんかうまいこと文章まとめきれない感じで、ヌルヌルとイメトレから入っております。 これまで頭の中をどうにかこうにか整理してアウトプットしてきた、くるくるハイツについての言葉を、ますます上手い事まとめて、いい感じのプロジェクトとしてバシーンと出せるようにしていきたいなと思っております。引き続き生暖かく見守ってやってくださーい!(^^) あと、仕事をする時間を取れなさすぎて生活が困窮しているので、しばらく仕事もがんばりまーす! 仕事やってる場合じゃないとかいう感じだったけど、仕事してない場合じゃなかった……という混乱ぶりがもう自分でも何が何やらわけがわからん感じですね!へへ! 今日はやっと、比較的家の近くにある「牧のうどん」の加布里本店に初めて行ってみました。 なんていうか、こういう、生活を軸にする感じ、随分長く失っておったのですよね。 日常的にどこで食材を調達するかとか、引越ししたら必要になる生活基盤を考えて決めていくことも疎かになっておりました。ここ数日でやっとそういうことを考えたりしています。

頑固とこだわりと執着と…

Facebookでご友人のシェア記事から偶然目にした方の投稿が、今の自分にとって必要な言葉ですごくしっくり来てありがたく思っています。「こわだり」と「執着」についての投稿記事でありました。 「こだわる」と言うのは決して悪いことではありません。 それはその人の生きがいのひとつなのかもしれません。 でも「こだわり」は少ない方が人生楽に生きれます。 気をつけなければいけないのは 「こだわり」と「執着」はよく似ていることです。 あなたが「こだわり」だと思っていたことが 実は「執着」だったりして・・ 「執着」は持っていても一つも良いことはありません すぐに手放した方がもっと楽に生きれます。 最近はどうも、というかいつからか、6歳の息子につい口うるさく文句を言ってしまう自分が居て、でも自分でそれが何故なのか分からず、分からないから自分でコントロール出来ず、イライラしてはそれをぶつけることを繰り返して悩んだりしておりました。 よく、「イライラした時は一旦部屋を出たりして氣持ちを落ち着けて…」とかいうアドバイスがあるのですが、そんなことしても全然収まらないのであります。 先日は、「ちゃんとした子に育てよう」としてイライラしていませんか?ちゃんとしなくてもいいんです、的なアドバイスの言葉を読む機会がありました。しかしそこで私は、全然「ちゃんとした子に育てよう」とか思ってないのにイライラしてるなぁ、という発見….。 それで、じゃあなんでイライラするんだろうと考えると結局自分のワガママ、自分にとって氣に食わないからというだけで、自分の了見の狭さ・器の小ささ・こどもっぽさ・怒りっぽさ・短氣が原因…..とか  考えると、性格の問題になるじゃん!??となりました。 で、どうすんだ??? と思っていたら、上記の「こだわり」と「執着」についての言葉でなんだかすごくやっと、理解できました。。 私はどうも最近、元々あった自分の頑固さがすごく意識されるというか、強調されているというか、出てきてる感があるなーと思っていたのです。 元々こだわりが強いところがあったのだけど、それが更にパワーアップしていた。 「こだわり派」それ自体は勿論、ある程度は好きで選んでやっていたのだけど、それによって苦しむことも勿論これまでも多かったのであります。例えば、こだわり過ぎて氣に入る物が売ってなくて買えない、とかよくある….ちょっと困ります(笑) しかし自分に関することと、買い物できないくらいだとカワイイ範囲かもしれないけど、こどもに対して「絶対こうしてもらわないと嫌!」と思って、それが叶わないからといってイライラするのは完全に「執着」で、お互い苦しむだけだったのだなぁと発見したのでした。 私は完璧を目指して理想を追い求めるようなところがあって、ついつい飽くなきチャレンジ精神で目標に向かってひた進みたい!!と普通に思っていたりするのですが、これが他者への期待とセットになると、しんどいことになるだけですね…ふふふ…。 ここまで自覚できれば、後は実際に(ここは執着してこだわらなくてもいいところだよね)と要所要所で氣付くことができればイライラせずに済みそうな予感です。 いやはやしかし、育児でイライラとはいってもやっぱり理由は人それぞれなんだなぁということも分かりました。 ここまで氣が付くのに随分色々なプロセスというか、時間もかかったしすごく考えました。 これからは少しでも良くなっていけるように、なんくるないさ〜(いきなり沖縄弁)でいきたいと思っています。

「正しい私/いい子」で在りたい望みが弱さから来るのなら

(人から気に入られたい..)という動機で言葉を紡ぐ自分はほぼ無自覚に動いているけれども、自覚してしまうと浅ましく格好の悪い自分だなと思ってしまう。飢えているのかな、と。承認欲求の暴走。 同じように無意識の中で、(正しい自分で在りたい!)という思いや(「いい子」で在りたい!)と思っていた子ども時代から今までの自分というのは、本当に驚くけれど、最近やっとその存在に気が付いてきた。 他者から非難されることへの恐れがものすごくあったのだろうと思う。 可能な限り誰から見ても「正しく」在ることが、そのリスクを最低レベルまで下げる効率の良い手段になる。「いい子」であることも、最高のリスクヘッジ。ヤンチャは親や周囲の大人が許してくれる範囲でやるのが好ましい。私は無意識の中でそれを巧妙に選択して生きて来たし、そこから外れることに対して自分を許して来なかった。それは恐れに基づいた行動原理で、私の心はとても窮屈であっただろうと思う。そしてどこかそんな、自分は絶対に手を汚さすに、清廉潔白で無難な立場を選び続けることを守ろうと頑なになっている自分への違和感もずっとあったようには思う。(長女っぽいなとか思う) そこまで努力して、恐れから自分を守ろうとしてきた私の中で生じた歪みはそこそこの存在感を放っていたとも自覚する。 まず、清廉潔白で無難な立場をひたすら守ろうとする自分への違和感に耐えかねて、やはりリスクを犯してでももっとあるがままに生きたいという思いは抑えきれなくなった。そこにもはや理屈は無く、それまで押さえ込んでいたタガが変な形で崩壊したというだけのことだったのかもしれない。ただのアホやとも言える。 非難を避けたいという恐れは長年私を弱くして常に怯えさせていた。ちょっとした否定ですぐに自分が全否定されたかのように落ち込み、なかなかそこから立ち直れない自分を作っていた。あらゆる物事に対して常に自己弁護をしたい自分がいた。 「いい子」で「正しく」ある為に、ネガティブな感情、憎しみ、恨み、怒り、嫌悪感を否定してきた。結果、そのようなものが湧き上がる己の一側面を抑圧して、無いものにしたし、それを想起させる存在を封じ込めようと躍起になっていた。が、やはりどうしても滲み出てきて、そこのコントロールが上手くできなかった。 *** これらはただの内省趣味なのだけど、何がきっかけでこんなことを考え始めるのかということについても少し。今回は、棘のある言葉を発してしまう自分を自覚して、その原因を掘り下げていって出会った領域だった。自分の中に抑圧された憎しみや怒りのようなものが、棘になって出てきて、それをコントロール出来ていないのだなぁという発見。どういう時に棘が出てしまうのか、という部分に、抑圧がある。 個人的な体験が元になっていることがほとんどなので、感情を探りながら確かめてゆく。 私の刺々しさに触れたことがある一部の人からは「お前ほんまそれやで」的なため息が聞こえてくるようでもあるが、自覚というのはなかなか、他者から指摘されたからといってホイホイと進むものでもない難しさよ。 幼年期までの期間の出来事で父親に対する恨みのような感情を封じ込めてきたことを自覚しつつある。それと、私はある特定の人に対して妙に見下したような態度を取ることがある。この特定の条件についてはまだ掘り下げ中。 しかし実際のところこんな抽象的な領域はホログラムで、常につかみどころがなく、角度を変えれば紡がれる言葉も全く違うものになる。数ヶ月後には全く違う言葉で同じことを認識していたり、同じ言葉で違う意味を認識していたりもするのだろうと思う。まぁ世の中のあらゆることは、そういうものなのかもしれないけれど。 2016年はご友人つながりでヒプノセラピーというものを初体験した。要は無意識の中の自分との対話みたいなもの。日頃ボーッとしている時などは無意識だったりする、そんな領域にアクセスしてみるというものだった。日頃からこんな感じで内省趣味のある私とは相性が良くてパワフルな学びがあったと感じている。しかし同時に、抑圧している領域は、簡単にはアクセス出来なさそうだなということも少し感じました。 ヒプノのセッションを受けるとなんでもすぐに無意識が抱えた問題?を解決できるかといえばきっとそうでも無いのだろうと思って、だから結局日常の中でなるべく、自らアクセスする癖を付けておくこと。その中で出来れば苦しみ・苦しませの元になっている抑圧があるのなら、解放していくこと、そんなことを意識している。日々の筋トレのようなものとして。 嫌悪感や憎しみ、恨みを飼い慣らさなければ、暴走してしまう危険性を常に孕んでいるなぁと思う。私は戦争ってそこから始まると思っているし(人の心に巣食う抑圧されがちな感情なのだ)、世界平和は自分から、心の平穏を求めてゆきたいなぁと思っている。

「傷」に憧れていたヤングな頃の私

「うっ…今日は傷が疼くぜ…」みたいな..ハリーポッターの額の傷はすごいエピソードが!みたいな….何故少年少女の触れる世界観には”傷”がかっこよく描かれたりするのでしょうか。そして何故、実際それに憧れたりなんてしてしまうのでしょうか….かつての私に、その憧れ、要らんよと言いたい、虫歯の話です。   私は、そうガッツリと傷への憧れを抱いていた子どもでした(少女っぽさ無い..)。 額に出来たかさぶたを敢えて何度も自ら破り「怪我の紋章を作る」(?)と意気込んでいたあの頃は、幼稚園か小学校低学年の記憶です。何か傷が、特別なものに思えていた。自分を特別なものにしてくれるようなかっこいいものだと。   それから時が流れ、高校生になった私は、それまでの期間に憧れを募らせてきていた傷への想いをついに虫歯を抱える!という形で実現してしまうことになるのであります。   「虫歯がいてぇ〜」 「麻酔した」 「神経抜く」   そんな言葉を発するクラスメイトたちを、小中学校時代から、なんだかすごくかっこよく感じていた自分がいたのだと思います。なんか、大人っぽいというか。痛みを知る、みたいな。 そこで私は自分も虫歯を経験しようと歯磨きを敢えてスルーする取り組みを敢行。見事虫歯になるも、神経に到達せず治療も痛く無いしすぐ終わる。ヌルい!!と思った私は新たに麻酔を経験しようと立派な虫歯を作り込みました。 麻酔治療も無事経験し、闘いを乗り越えて、傷を作り、強くなった私…..   バカーーッ!!!歯は大事にしなさいバカーーーッッ!!    って今、思います。   大人になってみれば、いつのまにやら望まずともどこもかしこも傷だらけ(・ω・) 社会に出て、おのずとゴリゴリ磨かれる過程でいくらでも、そんな、かっこいい?ものは得られるのですね。   先日、この、強大な銀歯が取れまして。 元々鏡で(なんでこんなにごつい銀歯作ってんの私…怖..)とか思ってたのですが、改めて取れてみて、虫歯の深さにドン引きでした。 しかも銀歯のしたも虫歯になっていて(削るとなりやすくなるのよ〜)、次の治療では神経を抜くことになるだろうということに。神経を抜くと歯は死んでしまいます。抜歯への階段を一歩下ることになります。   8020運動を思わず検索…..。   これからは精一杯、歯を大切に生きてゆこうと思うわたくしでした。 そしてこの傷ものの歯を見るたびに、バカーーッって思うのであります。    

「やってみて考える」がすごいあるなぁ…

私は何事もどうやら「やってみて考える」というのが基本みたいで、逆に言うと何も考えずに直感でやろうとし始めるところがあるみたいだな、などと考える本日です。 春から?住む予定の家をアレコレいじっていこう!としているのだけど、要は、やってみて考える感じなので、フワッフワしてるんですよね〜。壁を抜いてみて考える、みたいな。絵画制作のやり方も、完全にそんな感じで常にキャンバスと会話しながら進めるようなタイプなのですが…。 まぁ、なので私は絵を描く時と同じような感じで家と対話をしているようなやり取りを今後もしていくのかなぁと思います。しかしこの感じだとほんと我ながら、色々なことがハッキリしない!(笑) う〜〜ん、どうしようかな〜〜(=ω=)…って、本当に作品制作の世界。 いや、楽しいですね、ということで! しかし家を、住みながら、どこまでそんな感じでやれるのか、というか住むまでの段階でどこまで何をやるのかやれるのか、謎は謎のまま、しかし着実に、進んでいきます。 色々な人たちとのご縁が増えていき、その全てが刺激的で、とてもありがたいです。 背中を押してもらっているなぁと感じます。 しかしちゃんと写真を撮っていかないと…ついつい現地ではバタバタしていて撮り忘れてしまう!本日もご友人2名に来ていただき、大変捗りました!感謝です。

2016年クリスマスイブ、髪を切る

中学時代からの友達が美容師をしているので、今日は久しぶりに髪を切ってもらってきました。 毎日生後10ヶ月な娘に髪を引っ張られて痛いので、引っ張られにくいという理由で短く。 非常にスッキリ心地よい、のだけど何故か一部の身内からは、髪は長いほうが良いと言われるので短くしづらい…..。なんだか年々、髪型に対する周囲の意見が厳しく感じてきております。   そして今日はクリスマスイブ..!主にお子様サービス系でワーワー走り回るような日になりやすいのですが、今年もなんだかんだバタバタとした1日になりました。でもおいしいものを食べて子どもたちも楽しんでくれたみたいで嬉しい日になりました。ホッ。   私は私でここのところ、自分の性格をここ数日メタ認知する機会が多くて一人でウームと思っていたりもしています。客観的に自分の性格の癖を認識することで、その癖を意識的に薄めたいなぁというイメージがあります。が、それを意識することに脳内リソースが結構要るので、すぐ頭の中がいっぱいいっぱいになってしまうのが問題です(意識配り過ぎ問題!?)。 具体的には、被害妄想的な認知の歪み癖やら、感じの悪い店員・町に居る人々に対する愚痴や文句に対する嫌悪感(ややこしい)、仕事でも生活でもやりたいこととやるべきことの項目が頭の中でいっぱいになるとテンパって苛々してしまうこと、などについてウームと考えたりしております。他にもちらほら新たな劣等コンプレックスが発見されたり。退屈しませんです!まぁ、こういうの完全に趣味ですね。内省趣味。 今後もこの内省趣味は勝手に楽しんでゆこうかなぁと思ったりしております。